カテゴリ:身辺雑記
国でたとえれば日本、歌でたとえれば演歌と言われるくらい、
大和の撫子なわたくし。 基本の性格は、重~く、暗い情念系。 実は、言いたいこともあんまり言えずに、情念が鬱積するタイプ。 しかも、さすが巳年生まれ。 表面上忘れたふりしてるけど、実は、過去の細々したことを、 ずっとずっとずーーーっと、しつこく覚えている。 それが嫌なことなら特に。 一見そんな人に見えないかもしれないが、それは、私が情念を抑圧し、 軽く、明るく見せかけているからである。 「そんな明るく見せかける必要はない」という方がおられるかもしれない。 しかし、私の内面の情念の暗さには、本人も辟易なのだ。 ましてや、他人であれば、いかばかりか。 それでも情念を押し殺し、軽く明るい顔を前面に押し出すようになって早十数年。 軽さも明るさも板についてきて、最近では情念そのものも薄くなってきたような気がする。 そもそも、自分の過去を悔やんだり人を恨んだりするのは、 実際、大変疲れることなのだ。 そんな思いがなくなってくれるなら、それに勝ることはない。 しかも季節は春。心なしか足取りも軽くなる。 しかし、そんな明るい私の心にひとつ、暗い疑いがよぎって消えない。 もしや・・・・これは、情念が軽くなってきているのではなくて、 生き霊が飛んでいるのではないか。 情念は、それを解放せず抑圧すると、生き霊となってしまうのである。 生き霊系の大御所、六条の御息所(@源氏物語)がそれを証明している。 六条の御息所は「人を恨んだり憎んだりするのは品がない」 「嫉妬などしない良い人間でありたい」と思っていた。 そのため、彼女の嫉妬は理性によって抑圧され、抑圧された嫉妬は、 最終的には、生き霊となって御息所の体を飛び出してしまうのである。 生き霊ほど始末の悪いものはない。 本人は無意識なんだから、本人にも生き霊が何をしでかすかわからないし、 コントロールも不能で止めようがないのだ。 大体、人間の性格など、そうそう変わるものではない。 演歌系・情念系の私が、最近情念を感じないのだとすると、 それは情念が薄くなってきたのではなくて、抑圧のあまり、 私の情念が生き霊となって飛んでいっている可能性はありうる。 大いにありうる。 しかも、根暗な私の生き霊のこと。 ほんとに根暗な嫌がらせをしつこくしつこくするに決まっている。 これはいけない。うん、いけないよ。 そもそも、生き霊が発生するメカニズムは、 自分の中に生まれた悪意や煩悩を抑圧するところにある。 コントロールできない生き霊を生むくらいなら、 自分の中に生まれた醜い感情を抑圧せず、解放してあげたほうがよい。 そう。 たとえ私が、たいへん毒を吐いていたとしても、それは、生き霊防止のため。 本当の私は、「良い人でありたい」と強く強く願い、それに向けて努力する人である。 ただ、上記のような事情を比較考量した場合、 (毒を吐く害悪)<(毒を吐かずに感情を抑圧した害悪=生き霊発生) であるので、あえて毒を吐いているのである。 これぞ、世界平和。ワールドピース。 よって、みなさまには、表面上の毒を聞いて、私を「性格の悪い人」だと 誤解をしないようにしていただきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 19, 2007 07:18:45 PM
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