カテゴリ:考えごと
大学院に行って良かったことのうちのひとつは、
「複雑なものを複雑なまま理解する」ことの大切さを学んだことだ。 世の中では、「AかBか」「黒か白か」という二者択一を迫られ、 そのどちらかを潔く選ぶことが、はっきりしていてぶれずにカッコいい! と思われるふしがあるように思うが (実際自分も過去そうおもってきたし、そう振舞ってきたこともあったが) 現実の世の中っていうのは、ほとんどの場合、 二者択一でぶった切れるようなもんじゃなくて、 すごく複雑な相互作用の中にあるのだと思う。 たとえば、 不倫している友達に、「それは悪いことだよ」というのは正論だし簡単だが、 でも、そこには、相手が「別れることを前提に」という話をしているとか、 「自分でもやめたいけれど好きな気持ちはやめられない。 むしろやめられる方法を教えてほしい」とか、 一言では言い切れない様々な事情が働いている。 何事においても、その分野で初心者のうちは、 「正解」を覚えていくことが、その分野での一定の知識を身につけていくうえで必要である。 でも、その分野に詳しくなっていくにつれ、人はだんだんと、 「正解のない世界」に入っていくのだと思う。 すなわち、「自分なりの正解」を出していく過程へと入っていくのだ。 そのときに重要なリテラシーとなるのが 「複雑な物事を複雑なまま理解する」という能力でないかと思うのだ。 それは「正しい/間違っている」の二者択一的な議論とは相容れない。 様々な人の、様々な利害と様々な考えは、それぞれの人の立場から見て正しいからだ。 そして相手の立場は、それぞれの立場から見て「間違っている」。 つまり、通常、ある物事は、Aという側面から見たら正しいが、 Bという側面から見たら間違っている、 そしてまたCという面から見たら・・・・というように、 多面性を持っている。 ほとんどの場合、すべての物事は、複数の人の利害を含むし、 その利害が一致することはまずない。 そのなかで、二者択一的な論理を持ち出すのはとても危険である。 議論が建設的な方向にいかない時というのは、 このように利害の対立が起きてしまったときに、 誰が「最も」正しいかという議論に走ってしまうためである。 (残念ことに、日本の政治はこのレベルだと思うけど) 「誰が最も正しいか」を話しても無駄である。 だって、それぞれの人の立場から、それは「最も」正しいことなんだから。 だから、利害や意見が対立したとき、重要なのは、 二者択一的に答えを見出すことではなくて、 まずは、複雑な状況を複雑な状況のまま理解する、ということであろう。 これは答えを出すなということではない。 ただ、少なくとも、状況を二者択一的な理解をするよりも、 複雑な状況をきちんとつかんでそれを理解するほうが、 よっぽど現実に即して、多くの人を救えることが多いはずだ。 もちろん、ずっと労力がかかり大変ではあるけれど、 その部分の知的負荷を怠けることはしてはならないのだと思う。 でもまた、その「複雑な状況を、いかに人にわかりやすく伝えるか」というのは、 また別の作業で、それはそれで大変だったりするんだけれどね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 13, 2008 09:20:01 PM
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