|
カテゴリ:カテゴリ未分類
世の中で「もし、ドラ」を読んだ人は数多けれど、あれを読んで泣いた人は少ないのではないだろうか。 そもそも、この著者は、この本のターゲットを高校生あたりの若者を想定して書いたようだ。著者自身が「経営の父」と呼ばれるドラッカーの言葉に感激し、現在、人とつながることが苦手な高校生、若者に、ドラッカーの言葉を通して、人の強みを生かし、組織を動かし、成果を挙げるという素晴らしさを伝えたかったようだ。で、表紙もあの萌え系となったそうだ。 それを高校生のウン倍年をとり、ある程度の人生経験を積んだオバサンが読むと、その言葉の一つひとつがしみじみと胸にしみてくる。 そして、ドラッカーの言葉によって、あの場面、この場面と走馬燈のように思い出された。また、現在進行形の事案も含めると、本当に涙が出てくるほどだった。 しかし、涙の決定打は親友の有紀の死だ。作家って残酷だね。人が行動するには目的がいる。みなみがドラッカーの言葉を学び、苦労して実践し、成果を挙げた。その目的は有紀を甲子園のベンチに連れて行くこと。それを奪うという残酷な結末。 オバサンも有紀や文乃と一緒に泣いちゃった。でも、最後は再びドラッカーの教えで次の目標を掲げて終わったので、まあ、読後感は良かった。と、同時に、私もまだまだ若い、と実感した。 (オチはそこかよ) ===============
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年05月11日 23時46分18秒
コメント(0) | コメントを書く |