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カテゴリ:作家 山口瞳
大好きな作家の『山口瞳』さんが8月30日に亡くなられて、もう今年で11年になる。
訃報を、‘やじうまワイド’という朝のTVで聞いた時に「これから、瞳さんの新刊が読めない!どうしよう。誰かが亡くなった時の瞳さんの感想が、もう読めない!どうしたら、いいんだろう」等と訳のわからない事しか思い浮かばなかった。少々パニックに陥っていたのかもしれない。 通夜・葬儀は、瞳さんの自宅で行なわれるという。「何があっても駆けつけたい」という思いとは裏腹に、結婚したばかりの私には「大好きな作家の方のお葬式に、どうしても行きたい!」と、その日社宅の行事(草刈り)もあり、どうしても言い出す事は出来なかった。じりじりと照りつける太陽の中で、草を刈りながら「読者の為に、自宅で葬儀をして下さる作家は瞳さん以外には居ないだろう」という“想い”が頭を駆け巡る。なのに、どうして私は1番嫌いな草刈りをして葬儀にも駆けつけられないのか・・・。そんな事ばかり考えながら、伴侶となった人に見えない様に・分からない様に流れる涙を、汗を拭くふりで拭っていた。 今、思い返せば「行きたい」と言えばもしかしたら「行ってもいいよ」と言われたかもしれない。けれど、その時は未だ彼の心が掴めていなかったし、ずっと拝見させて頂いていた瞳さんの思想(?)お考えなら「瞳さんなら、葬儀よりこちらを選べというのでは…」という“思い”で、断念した。 その後、機会が有って国立で行なわれる追悼行事に、主人と参加する事が出来た。奥様の治子さんと息子さんの正介さん、嵐山光三郎先生、山藤章二さんにもその時に御逢いする事が出来た。2人で【文蔵】にも何回か行く事も出来、国立の桜並木を創られた鈴木さんの御子息(この方も、新しい桜並木を御創りになっている)と御話出来た。一橋大学、国立のお宅、桜と銀杏並木、谷保天満宮、エソラ、お好きだった所を巡るツアーにも参加出来た。ロージナ茶房、その他ゆかりの場所にも・・・。 若い時には出来た濫読が出来なくなり、瞳さんの本しか読めなくなっていた。その代わり瞳さんの本は、何度読んでも何処から読んでも大丈夫で心に沁みた。瞳さんの文章には“調べ”があるからかもしれない。(今は、あと何名かの方の本は読める様になったが…) 素晴らしい本をそして尊い御考えを、与えて頂いて本当に有難う御座いました。11年経ってはじめて感謝を伝える事が出来ました。(先生と呼ばれる事は“お嫌い”という事でしたので「さん」と呼ばせて頂きました) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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