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「お前は俺をバカだと思ってるんだろ!」怒鳴る父に「うん!」と頷きたいのを(大人の配慮?思案?で)開き直るバカにつける薬は無い!と思い乍らこらえて無視していた。昨日の父と私の1コマだ。70歳を過ぎて住み慣れた家を取り上げられる・・・。どうして家の両親だけこんなめに遭うのか?やはり生きざまか・・・今迄の・・・。
私からみた父は「自分さえよければ他はどうでもいい」という人間に見える。「人に迷惑を掛けるな!」と常々言われて育てられてきたつもりだったが、母には必要以上の負担を課しても気にも留めない。母は母で依存心(依頼心)の塊の様な人で現状を変えたくないが為に父にしがみついている。愛情があって甘えているのかといえばそうではなく、私は、父も母も互いに愛情は無いと感じている。そして、互いに他の人のよいところを求め嘆く。その度に私は彼らに言う「その人はあなた達なんか選ばない!」と。それでも、咽喉もと過ぎれば同じ愚痴を繰り返す。そこにはひと欠片の反省も感謝も無い! 自分の為にだけ生きている人間は弱くて脆い。誰かの為に生きられたら強く生きられるのに・・・。どうして俺はこんな扱いと嘆く前に己のしている事を振り返らねばならないのではないかと感じるが、自分は悪くない・俺は被害者だ!と思っている限り1歩も前に進めないのではないか!ちゃんと原因(現状)を分析しそれに伴う対処をしてこそ、初めてよい方向にも変わってゆくのではないのだろうか? 最近しみじみ感じるけれど「怒る」という行為は、背景に“何か”がある場合が殆どだ。やましさだったり、都合の悪い事を突き付けられて等がそうであって、精神的にゆとりがあって品格を兼ね備えた人間はそうめったには怒らない。けれど、そうだなー父の場合は自分を立派な人としてみて欲しいのだろう。が、それは無理だ。必要最低限の事もしない人間をそうはみれない。まあ意識が無くなりそうになった母を取り残し遊びに行き、他県から駆けつけた私を恐れ、母へのねぎらいの言葉も詫びも掛けずに発した第一声が「娘に怒られる」だった。それだけではない言わなければ、生活費も渡さない人間を誰が尊敬し敬えるだろう?それでも、ここまで育てていただいた恩は返さなければ「私」が人として成り立たないという思いのみで動いている。遣って貰える事は当たり前で、必要経費も出さないばかりか「ありがとう」の言葉も無い!金銭も言葉も本当は要らない!しかし気持ちが無さ過ぎると・・・何か虚しさを通り越して感じてしまう「なんなんだろう、こいつは」と。挙句「お前が悪い!」と逆ギレされた日には。(まあ、当たり前と思っている人間に気持ちくらいはと思う方が間違っているのだろうが)全て自分が好きでしている事。そうは思っている。解っているつもり・・・でも、釈然としない。修行が足りないのだな。何か悟りや必要なもの(試練とか)を与えられているのだな。とは考えるが・・・やっぱりムカつく! うーーーーーん、まだまだ。頑張れ、私! 美輪様、親との付き合いも腹六分ですものね。彼の「不幸の基」を取り除いてあげよう等と不遜な考えがこの込み上げてくるもやもやした存在の正体でしょうか。 でもこれも「私」の言い分。父には父の言い分や立場・思惑があるのでしょう。己の不幸は、それぞれに背負わせなければならない。これ以上は見守って、後は私の出来る事を出来る範囲でするしかないのですね。 何か分析しているうちに気持ちがだいぶ落ち着きました。バカな親子の1日ですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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