五山の送り火 起源!
起源「大文字」(1)平安初期、創始者は弘法大師 かつて大文字山麓の寺院・浄土寺が大火に見舞われた際に、本尊・阿弥陀佛が山上に飛翔して光明を放ち、この光明を真似て実施した火を用いる儀式を弘法大師が大の字形に改めた。 (2)室町中期、創始者は足利義政室町時代・延徳元年(1489年)足利義政が近江の合戦で死亡した実子・義尚の冥福を祈る為に、家臣に命じ始めた。大の字形は山の斜面に白布を添え付け、その様子を銀閣寺から相国寺の僧侶・横川景三が眺め定めた。 (3)江戸初期、創始者は近衛信尹(のぶただ) 寛文2年(1662)に刊行された「案内者」に「大文字は三藐院(さんみゃくいん)殿の筆画にて」との記述があります。近衛信尹は本阿弥光悦、松花堂昭乗と共に当代の3筆と言われた能書家です安土桃山・江戸前期の公卿。前久の嫡子。初名は信基・信輔、号は三藐院内大臣・正二位左近衛大将を経て左大臣となる。島津義久に厚遇され詩歌をもって名を上げた書家 本阿弥光悦は,言わなくても誰でも知ってますね^^;松花堂昭乗は「松花堂」弁当! これも皆知ってますね^^;京都府八幡市に松花堂があり京都府指定文化財。泉坊書院・玄関は京都府登録文化財。男山山復の跡地とともに、国史跡指定になっています 松花堂庭園内には、女郎花塚や資料館などもあり、見学も出来ますもちろん弁当も(笑 「左大文字」大文字、妙法、船形の3山より遅れて登場したと考えられ大の字に一画加えて「天」とした時代もあったと・・・起源は不明です^^;「妙」鎌倉時代末期、日蓮宗の僧日像が妙の字を書き点火したのが起源とも・・・・。「法」近世初期に始まったと伝えられています。「船形」西方寺の開祖慈覚大師が847年、唐留学の帰路さいに暴風雨にあったが、南無阿弥陀仏を唱え、無事帰国できたことからその船を型どって送り火を始めたとも伝えられています「鳥居形」弘法大師が石仏千体を刻み、その開眼供養を営んだ時に点火されたとも伝えられ、鳥居の形から、愛宕神社との関係も考えられています