怒りと憎しみは、エネルギー源・・・になるか?
その2
昨日の手術中に
意識が朦朧としていながらも、
頭の中には、
理不尽さ故に腹の立つ事、腹の立つ輩。
道理がわからんくせに、「我こそは正義」面してる輩。
弱いくせに、それを自覚出来ずに、あたり構わず吠えちらかす輩。
などなどの存在…が、ちらついて
「くっそ~!こんな奴らをのさばらせたまんま死ねるか!」
と、生きるエネルギー源にしておりました。
でも、万、万が一にも
このまま生きてこの手術室から出られない可能性もゼロじゃない。
と考えると、
そんな輩の事を頭に思い浮かべながら死んでしまうのって…
それこそ、我が人生最後にして最大の汚点では無いか!
と、思い直した次第です。
以前、⬇
【怒りと憎しみは、エネルギー源・・・になるか?
2007年09月14日】
こんな事を綴りましたが、
この時とは少し考え方も異なり、
人生最後の時期の思考ぐらいは、劇薬(怒りや憎しみ)でのエネルギー補給は止めて
本来の効能が期待出来る「暖かい」思考を生きるエネルギー源として
取り込むように、少しばかり頑張って思い描きました。
内容は、ご想像にお任せしますが、
ほんわかと暖かく、気持ちが落ち着く…そんな感じです。