コーヒーも「マイ・ソムリエ」にお任せ
酒類は、「日本酒」はもちろんのこと(日本酒・・・という呼び方が気に入らないのですが 「酒」=いわゆる「日本酒」なので、それ以外は「ウィスキー」「バーボン」などなど)「焼酎」「ビール」「ワイン」・・・更には「味醂(みりん)」「味噌」「醤油」に至るまでかむ太郎家御用達の「各務 油〇」←ほぼ実名出してまった。(岐阜弁)で調達いたします。かなり年季の入った古民家風の建屋で、昔は屋号の通り本当に「油」を売っていた店のようです。今では、コアな常連客が長時間「油を売って」います。(おあとがよろしいようで)「酒」(いわゆる日本酒)以外は、たまに他でも買いますが、「酒」(いわゆる… ←しつこい!)だけは、他では買いません。10数年前、看板の「楽しむための酒を売る店」の文句に惹かれふらりと立ち寄ったこの店の主は当時はまだ若く、岐阜の田舎モンのくせに「てやんでぃ!」ってな江戸っ子風の感じを醸し出す頑固兄ちゃんでした。蘊蓄やら能書きを垂れてくる客に対して「べらぼうめ!もううちへは2度と来るんぢゃねぇ!」(実際のセリフは覚えていませんが、こんな風に見えた。)と、怒鳴っている姿を目撃したのも最初に立ち寄った日です。その店主のお眼鏡にかなって、かろうじて店内に留まることを許された「選ばれし客」のみが、店主の講釈を聞きながら、時折恐る恐る質問をしつつ、提示された選択肢の中から数本を手にして買って行く・・・「選ばれし客」たちは、およそ値段を気にするふうでもなく次々と、見たこともないような、かと言って巷にはびこる「似非(エセ)限定品」とか「似非(エセ)幻の酒」みたいなものではなく、兄ちゃん自ら味を見て必要とあらば、そこの酒蔵まで足を運び時には、数週間寝泊まりして仕込みの手伝い(邪魔?)をして納得したものだけを客にプッシュ(訳すと・・・押し売り?「これを飲め!」)自分で納得した酒だけを売ってます。店内には、「1」「2」「3」・・・と数字が書かれた付箋を貼った開封済みの一升瓶が数本置いてあり、試飲ができるのですが、これがまた大変で、勝手に飲もうもんなら「なんの為に数字が付けてあると思ってんの!順番に飲まんかい!」てな勢いで叱られます。店主自ら全部試飲して、それぞれの味わいが最大限に発揮されるような順番を決めているのです。その店主も、今でこそ丸くなって、無粋な客を追い払うようなことはしませんが、それでも、やんわりと「あ、それならネットで買った方が、楽ですよ。」とか、「わざわざ、うちに来なくてもどこでも買えますよ。」などと、ぎりぎりの言葉でやんわりと排除しているのがよくわかります。我が家は、1~2か月に一度ぐらいのペースで行きます。以前なら、「冷や?燗?」「一緒に食べるのは何?肉?魚?」などと聞いてくれたものですが、私の病気のこともあり、酒量もめっきり減った事を知っている店主は「飲める量に限りがあるんなら、ハズレは飲ませたくない。」という思いで、もはや私には選択肢すら用意してくれてません。「はい!今日はこれ!」で、予算内で4合瓶を2本ぐらい・・・時折、気になる酒を見つけて「これは、どんなん?」と聞くと、「あ、かむ太郎さんには、これはダメ!」と売ってくれません。いつぞや、どうしても気になるのが有ったので、「そこまで言うなら売るけど、どうせかむ太郎さんにはアカンから、その時は、高級料理酒として大切に使ってくれ。」・・・結局、高級料理酒になりました。当然のことですが、料理酒としては「メチャ優秀」・・・当たり前か。今では、我が家の専属ソムリエとして位置付けています。ワインやビールもここで調達します。さて、酒と並んで双璧を成す嗜好品が「コーヒー」です。初めて「ミル」「サイフォン」を手にして大垣の「タマコシ」で清水の舞台から飛び降りる覚悟で買った「ぶる~まうんてん」を飲んでから、かれこれ40年・・・あの時の衝撃を上回るコーヒーにはなかなか巡り合えず淹れ方、豆、器具・・・いろんなのを試してきましたが、ここに来てついに「コーヒー版 油屋」とも言うべき「珈琲豆」屋さんを見つけました。そこの兄ちゃん手作りの「器具」も調達!これだ↓実家が、関の刃物屋さんのようで、家庭内手工業で使うマシンを駆使して自ら夜なべして、このオリジナル器具の注文に応じてくれました。既成のマグカップのようなヤツに特殊マシンで穴を開けてそこにパーツを埋め込む・・・写真のヤツは「7つ穴」ですが、淹れる量によって穴の数が違います。こんな感じでセットします。↑この画像は、撮影用に「取っ手付きのカップ型お湯サーバー」←勝手に名付けたを浮かしておりますが、実際はセットしたままです。シルバーのドーナツ状の円盤もどうやら夜なべ作品です。こんな感じでドリップされます。兄ちゃんの目指すところは、「こだわりだすと、ミル、ドリッパー、サイフォン、・・・ 器具だけでもキリがない。はたまた豆の種類、挽き方、焙煎・・・ 自分の味に辿り着くまで、労力がかかりすぎる。 たとえ、ある程度納得した境地に至っても コーヒーを飲もう!・・・と思ってから準備から片付けまで…大変 もっともっと手軽に旨いものを飲みたい!」という一心なのです。そのために、脱サラして「珈琲豆」屋さんを開業してしまった。との事。師と仰ぐ方が金沢と横浜におるようで、時折店を閉めてはいそいそと師匠のところに通っているそうな。休みの日に車で行ける範囲内の「そこそこ名の有る店」やネット上で、「これぢゃ!」と狙いを付けて買ってみた店など、今まで平均してみると、値段はそこそこしても「当たり」の確率はそれほど高くなく結果、「当たり率=1/2~1/3(3割前後)」・・・ぐらいです。今回見つけた、この「珈琲豆」屋さんの豆は、平均的な店よりも「お高い」のですが、「当たり率」は、ほぼ100%となると、値段が2~3倍ぐらいなら、許容範囲。という事です。実際は、高くても2倍まで(平均的には1.5倍以内)なので、トータルでは「お得」です。何と言っても、常に「ハズレなし」「目新しいヤツ」を買っても失敗がない。豆の性質を見極め、それに最適な焙煎を施せば淹れ方や器具などにこだわらずとも誰にでも美味しいコーヒーを入れることが出来る!という信念のもと、日夜焙煎の腕を磨いているようです。という事で、国道156号線「山田」の交差点を美濃方面に1kmほど行った左側の「珈琲螺房(コーヒーラボ)」 ←説明しきれにのでここ参照を我が家の「コーヒー版ソムリエ」としています。前述の金沢の師匠か、横浜の師匠の薫陶を受けたようで、また新たな焙煎を求めて更なる試行錯誤をしているようです。私の見解では、既に完成の域・・・と感じてます。職人・・・というよりアーチスト感の強い彼は我々一般人の味覚を置き去りにして、次の次元へ向かっているかのようです。迷走しなければ良いのですが・・・と、さっき「ここ参照」のリンク先を見たら嗚呼、お茶にまで行ってしまったか・・・日頃の兄ちゃんの言動を延長していけば紅茶、お茶(日本茶)に行くのも無理からぬこと。店内では、豆の声のみならず葉っぱの声を聞く兄ちゃんのアーチスト魂と職人魂が溢れていることでしょう。そう言えば我が家も、ちょっと「清水から飛び降りそうな」紅茶1缶と貰いものとはいえ、「明らかに清水から飛び降りた値段」のお茶っ葉50gがひっそりと佇んでおります。いずれ足を踏み入れるであろう紅茶も、お茶も、この際「珈琲螺房」の兄ちゃんに一任する覚悟です。※店主一人で運営していますので、他のお客さんがいる時は そちらに順番を譲り、後からゆっくりと蘊蓄を聞きながら 豆をセレクトして頂いております。 喫茶コーナーも併設していますが、 なんせ、ひとりで納得いくまでコーヒーを抽出する店主ですので、 良い子は決して急かさないよう ゆっくりと待つ、広い心で訪れますようお願い申し上げます。 こんなのを見つけて買ってまった。(←岐阜弁)はっきり言って、ラーメンが「しなしな」(岐阜弁?か)ラーメン部分をセロハンか何かでセパレートにしてポリポリと食べることが出来れば「Good!」だと思うのですが「濡れせんべい」ってのが有るぐらいなのでそっちの食感・・・なのか?