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.     47歳今まで中途半端に生きてきたけど,この歳になって「今から医者になる」と決意しました

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2023年04月18日
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カテゴリ:エネルギー源
47歳の頃、

それまでの中途半端な人生を顧みて

このままではアカン!

もうこの先の人生短いし、現状は最悪やん!

と途方に暮れたのがこのブログ開設のきっかけでした。

2007年5月19日のことです。
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それから実に16年・・・

あの頃は、

 ・残された人生時間は少ない!

 ・身体もボロボロでこれ以上悪くなったら何にも出来ん!

と思っていたのですが、

身体はこの16年で加齢による劣化以上に

内臓器官が急激に悪化しています。

心臓、腎臓、大腸、十二指腸、胃、肺・・・


実は今から思えば、16年前は「今よりかなり健康」

だったのです。

当然ですが、16年前は、今よりも

残された時間がめちゃんこ多い!

少なくとも、使える(使えた)時間は今よりは16年多い!
​​
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​思い返せば、​

「これ以上悲惨な事は無い!死んだ方が楽かも・・・」

と思ったことは一度や二度では無いのですが、

その後、その時の状況を軽く上回るような事態が

いとも簡単に繰り返されてます。

あの時も、その時も、この時も・・・

今振り返る「本当の最悪の状況(言わば最小値)」に比べれば

その時々の「最悪(最小値と思われた状況)」は

単に「極小値」であっただけなのでした。

後の「もっと悲惨な極小値」


(その時は、今度こそ人生最大の「最小値」だと確信している。)

​を迎えるに至って初めて

「あ、あの時は今より楽な極小値やったんや。

 あん時に死なんくてよかったよかった。」

と思うのです。​

​現に、その時よりも遥かに厳しい現実に直面して

それでもまだ生きてた(生きてる)わけだから・・・







悲劇の真っ只中にいるその時の状況が

果たして本当に「最小(人生最悪)」なのか

「極小(たまたまその前後の範囲内での値)」なのか

「定義域」を確定、即ち人生を確定(終了)しないと

判断できないわけです。

※上図では、右端の最小値は、定義域があるおかげで

図の実線の黒丸で収まっていますが

定義域を右に広げれば(つまりもう少し生きれば)、

破線部分が更に下降しているので

最小値はもっと小さく(もっと厳しい現実に)なります。

グラフが下降の一途をたどるのが確実ならば

定義域を「今」としてここで終わる(人生を打ち切る)

のも一考の価値有り、でしょうが

グラフのその先は見えてません。

現に、左側の「極小」では、その後グラフが上昇したので、

その時は、「最小値」(その時が人生最悪)

かと思われた値が

結果的には「極小値」で済んだわけです。

(この先にもっと過酷な状況が有った。)

つまり、「定義域を確定」させるまでは

「極小」か「最小」かは決められません。

数学的なグラフならば、元になる式から

その後の変動は計算して予測できますが

実際の人生はそんなに簡単では有りません。



実際の人生では、


勝手に「定義域」(人生70年とか80年とか)を設定して

勝手に「人生設計」などをしているのですが、

自分自身のこれまでの人生でも

設計に反して、突然「人生終了」となり得たことが

何度あったことか・・・

直近ですら、昨年11月の突然の入院は

現在自分が把握している病状とは全く別の

想定外の箇所の異変で、確率的には低かったものの

最悪、「THE END」のシナリオも想定されたわけだし、

選択肢としては「外科手術」も含まれていて

そうなると、その後の「透析」選択肢も「血液透析のみ」

になっていたわけです。
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話は変わりますが、

コロナ禍をはじめとする昨今の社会情勢


を鑑みてか、金融機関や公共機関から

「BCP策定セミナー」などのお誘いを受けます。

中小企業庁のHPには

 BCP事業継続計画とは、企業が自然災害、大火災、テロ攻撃などの緊急事態に遭遇した場合において、事業資産の損害を最小限にとどめつつ、中核となる事業の継続あるいは早期復旧を可能とするために、平常時に行うべき活動や緊急時における事業継続のための方法、手段などを取り決めておく計画のことです。
 緊急事態は突然発生します。有効な手を打つことができ無ければ、特に中小企業は、経営基盤の脆弱なため、廃業に追い込まれるおそれがあります。また、事業を縮小し従業員を解雇しなければならない状況も考えられます
 緊急時に倒産や事業縮小を余儀なくされないためには、平常時からBCPを周到に準備しておき、緊急時に事業の継続・早期復旧を図ることが重要となります。こうした企業は、顧客の信用を維持し、市場関係者から高い評価を受けることとなり、株主にとって企業価値の維持・向上につながるのです。

​​​という説明が有ります。​​​

確かに、コロナ禍の状況は言うまでもなく

平時ですら、中小企業は後継者問題や

技術継承、従業員の確保や教育など問題は山積しています。
​​
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さて、前述のグラフを例にすると

私自身、「俺様の人生は計算式でははじけないぜ!」

とばかりに、

・18歳の頃、大学受験に2年足踏みしたので2年長生きするぜ!

・事業失敗して多額の借金背負ったので返済期間分長生きするぜ!

などなど、ひたすら「定義域」を拡張することで

何とか「その時の今」の「一見最小値」を

「単なる極小値」に
変換するべく、

「長生きすりゃそのうち人生逆転ぢゃ!」


などと虚勢を張って無理しながら生きてきたのです。

(最終的には、「150歳まで生きるぜ~ぐー」というレベルにまで・・・しょんぼり
​​
ま、そんな奴が健康的な生活習慣を維持できる訳もなく

「定義域」を拡張するための最も大切な因子

つまり、「健康寿命」がじわじわと崩れつつあったことに

目を背けて邁進してきた結果、

どうやら


「定義域」も拡張の限界が見えてきたようです。ショックしょんぼり涙ぽろり



担当医の見解では、

このままのペースで行けば

今年の8月頃には、「クレアチニン値」が

「5.0」を突破!

(これは「障がい者3級」認定の基準値だそうです。)

●腎臓の機能が少しでも残っているうちに

 早めに透析を開始した方が良い。

という医学的見地とは裏腹に

●「障がい者3級」にならないと透析の医療費は

 かなりの高額になる。

という医療的見地が立ちはだかり

現実には「そこそこ悪くなってから」しか

透析開始が出来ないという変な状況です。

となると、頑張って塩分やカロリー、水分の制限をして

「悪くなるのを遅らせる」=「透析開始を遅らせる」

という事が良いことなのか?という疑問が・・・

「腎臓の機能が少しでも残っているうちに・・・」

というのなら、いっそのこと

短期的に塩分もカロリーもガンガン接種して

一気に一時的にでも数値を「5.0」まで上げて

障がい者認定を受けて透析を開始するか・・・

(一時的に数値が上がっても実際に腎臓が悪化するには

多少のタイムラグがあるのでは・・・???)

などと考えてしまいます。



いずれにせよ、年内には「腹膜透析の準備」として

腹膜へ、カテーテルを挿入する手術が

確実に待っています。

いろいろ調べると

「5年~10年」程は何とか持続できるようで

普通の「血液透析」のように血管がボロボロになるリスクは

かなり軽減されるようです。

で、腹膜自体も限界になった時点で

はじめて「血液透析」に移行し、

後は2日に1回数時間かけて「透析」を行い

着実に血管をボロボロにする日々が待っています。

「腹膜透析」⇒「血液透析」で

ざっと15年は、何とか生き永らえたい!

というのが現状の「目標」です。



これを見据えて、

まずは「10年」というスパンで

個人的な「終活」を開始せねばなりません。

それと同時に、今進めている仕事の

「次世代への継承」も本腰入れて考えねばなりません。



「自動運転」とまでは行きませんが、

私の人生が終了した後にも

少なくとも、全スタッフの給料や家賃などの経費

そして借入金の返済分を捻出できるような

「体制・システム・組織」を構築しておかねばなりません。

福祉は勿論、この先の医療も

決して「大儲け」できるような枠組みは

困難になるでしょうが、

食いっぱぐれるような事にはならないかと・・・



事業継承も、人生も

起業してから数年間~数十年間、

生まれてから数年間~数十年間は、

会社の基盤、人生の基盤を構築するのに必死で

とても「次のステップ」

(会社なら次の経営者へのバトンタッチ、

 個人の人生なら、一生を終える時)

の事など考える暇も有りません。

大企業や、何代も続く企業は

既に「先代」からの継承を経験済みなので

その次の世代へのバトンタッチは

想定されているでしょうが、

己が起業した会社は、「継承」は未経験ですし、

己の人生は、何もかも全てが未経験です。

考え方を変えてみると

起業した会社も、「今回初めて生きてみた己の人生」も

始まった時から既に「終活」がスタートしていた

と言っても良いのではないか。

人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

とは信長も口にした「敦盛」の一節ですが、

これ即ち、「死ぬために生を享けた」と

解釈することもできるのでは・・・

(少なくとも、「死に向かって生を享けた」とは言える。)

となると、人生の終盤を感じ取って、その時はじめて

「終活」などと言うのではなく

「己の生き様」が即ち「終活」ではないか。

良くも悪くも「死」を「ゴール」とするならば

生まれた瞬間から「ゴール」に向かって

日々時を刻んできたのだから、

過ぎ去った日々は、長い長い「終活」の一部で

ここまでかかって、「ゴールの姿」を作る材料を

ひたすら集めてきたようなもんだ。

理想とかけ離れていても

全然思い通りじゃなくても

今まで集めた物でしか作れないんだから

何とか工夫して、後はまだまだ頑張って

足りないものを少しでも補充できるように

この先を過ごしていくしかないし、

どのような結末にするかをしっかりと見据えて

今からでも「最大値」を目指して

どこで終わるかわからない「定義域」を恐れつつも

今できることを一つ一つ集めて行くしかない。



会社は、形状を維持したままバトンタッチが可能だが

「己の人生」にそれは望めない。

となると、

何を残すか・・・

  「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。
         仕事を残して死ぬ者は中だ。
           人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ
​」

「2022年11月13日日記」⇒
「金」<「仕事」<「人」​参照

生物学的遺伝子を残してない身としては

せめて、「思考の遺伝子」の欠片ぐらいは

次世代に残したいものだ・・・










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最終更新日  2023年04月18日 19時38分23秒
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