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先日、マイケル・ジャクソンの裁判がニュースになっていましたが、陪審員制度を採っている米国の裁判は日本とはかなり雰囲気が違います。
陪審員制度では有罪・無罪は一般市民から構成される陪審員が決定します。じゃぁ、裁判官は何するの?それとも裁判官はいないの? 裁判官は量刑を決定します。 もともと法秩序というのは、あだ討ち。。。これは時代劇の見すぎですが。。。 被害者の復讐心を押さえ、犯罪が繰り返されることのないよう、社会を安定させる目的で作られているものです。 その趣旨から有罪・無罪の決定には市民感情も大切という考え方です。 ただ、法律や判例の専門家でない者が量刑まで決定すると、感情によって左右され、犯罪者にとってマチマチで不公平な結果になる可能性があるので量刑は裁判官が決定することになっているようです。 日本でも同趣旨の裁判員制度を導入する動きがあります。 20日、東京地検と東京地裁、東京の三弁護士会の法曹三者が裁判員制度導入に向けて合同で模擬裁判を実施しました。 日本で導入されようとしている裁判員制度が米国の陪審員制度と違うのは、有罪・無罪と量刑ともに裁判官と市民から成る裁判員が多数決で決める点です。 模擬裁判に参加した市民は 「裁判官の指揮や進行の仕方で結果が大きく異なりそう。」 と不安をのぞかせました。 一方で弁護士連合会では「裁判員の心を動かす」研修会が開かれました。今までは法律の専門家であり、同じ法曹界に身を置く裁判官や検事を相手に法律論を展開すればよかったのですが、法律の素人相手には、法律論より感情的説得力が必要というわけでしょうか。 何か方向が違うような気がします。 米国の制度のほうが公正で、わかりやすくないでしょうか。 素人と専門家を混ぜれば専門家に染まります。 この制度が裁判結果を批判をさせないために市民も巻き込んでおく意図に見えてしまいます。 真実は一つというより、真実はみんなで作り上げるものと言いたげな制度です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.06.21 16:05:03
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