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もしも
子供が「学校に行きたくない」と言ったなら あなたはどうしますか? もしも 子供が学校で友達を作らずに 空想の友達がいるかのように話し始めたなら あなたはどうしますか? そんな問いかけが 容赦なく しかも形を変えて何度も読者に突きつけられます それがこの小説でした 消えた少年たち(上)(下) ところでこの作品 雑誌 『本の雑誌』 が 1999年の10月号でおこなった 1990年代のベスト100 という企画で みごと第一位 になった作品です! よ~く見てくださいね♪ 90年 の第一位じゃないですよ 90年代 の第一位です(笑) つまり 10年間に発売された全ての本の中で最高の本♪ だというコトなのです!! さぁ こんなコト言われたらもう読むしかないね~(笑) <ストーリー> フレッチャー一家は、インディアナのヴィゴアからノースカロライナのストゥベンへと、新天地を求めて引っ越してきた。フレッチャー家の三人の子供のなかで、長男のスティーヴィはこの引っ越しにいちばんショックを受けていた。もともとひとりで遊ぶのが好きな子供だったが、その孤独癖はだんだんひどくなっていく。やがて、そんなスティーヴィに何人かの友達ができたようだ。だが、彼の話には腑に落ちないところがあった。だれそれと遊んだといって帰ってくるのだが、家の外で見かけるスティーヴィはいつもひとりだったのだ。その繊細さゆえに、学校でも友達ができず、空想の友達をつくったのか?そのころから、フレッチャー一家のまわりでは、奇妙な出来事がつぎつぎにおこりはじめた…。連続少年失踪事件にゆれる南部の小さな町を舞台に、家族の愛とは、親子の絆とは、思いやりの心とはなんなのかなどを読む者に問いかける感動の書。ファンタジイ&サイエンス・フィクション誌1989年10月号にまず短篇の形で掲載され、89年度のローカス賞を受賞。1992年に長篇化された。 ↑コピペ…スミマセン! この作品 上巻は完全に家族についての物語 になっていて あたしは ものすご~く考えさせられました たとえばこんなの↓ ジェニー・クーパーの家で一日を過ごすのは、はじめのうちはとても辛かった。カオスがディアンヌを悩ませた、子供たちはいたるところを走りまわり、わめきあい、思い出したようにやってきては災害の発生を金切り声でジェニーにご注進におよぶのだが、彼女はたいてい、知らせてくれてありがとさんねと言うだけでなにもしない。はじめのうちはディアンヌは、ジェニーというのは子供たちの安全に対してなんて無関心なんだろうと恐怖をおぼえた。ジェニーの5歳の子供が、裏庭に据えつけてあるブランコ・セットの横棒の上にまたがり、子馬を走らせているような恰好をしているのを見たとき、ディアンヌは思わずこう言ってしまった。「ジェニー、なんとかしなくちゃだめじゃないの」 ジェニーは顔を上げ彼女を見て微笑した。「どうするの、あの子の足を地面に釘づけにしておくの? あの子がさいしょにあそこにのぼったとき、心臓が止まるかと思ったけど、じつはあの子、木登りがとても上手でぜったいに落ちないのよ。よくよく見てたら、とても慎重なの。だからあたしはこう思った、彼はこれからも登るだろう、あたしの見えるところで登ってくれればそのほうがいい、あたしの見ていないときに登られるより、あたしに見えるところで登ってくれるほうがいいって。見ていないときのほうが危険なの。だからあたしたち取り決めをしたの――あそこに登ってもいいけど、ママが見ているときだけにしてって」 「ごめんなさい、ジェニー。でもあなた、いま見てないじゃない。あたしのほう見てしゃべってるじゃないの」 ジェニーは笑った。「オーケー、でも耳はあいてるわよ。悲鳴が聞こえたら、あたしの出番だってわかるわけ」 「もう50回も悲鳴がきこえたわよ」 「わかってる、でも心配するような悲鳴じゃなかったわよ。第一そのうちの半分はあなたの悲鳴よ、ディアンヌ」 「あたしが悲鳴をあげた?」 「小さな甲高い悲鳴よ、ほんと。あたしが最悪の母親だって、あなた思ってるでしょ、ほんというと、あたしもあたなみたいだったの。子供たちを1日じゅう追いかけまわして。子供たちにつきまとっていた」 「あたし、つきまとってる?」 「そうじゃない?」ジェニーが聞き返した。 「あたしは子供たちの無事を願ってるだけ。もし子供たちの身になにかあったら……」 「でもなにかはかならず起こるものなのよ。見張っているから、いたずらをやめさせたから、腕を折ったり唇にぱっくり傷つくったりしないしないと思う? それにあたなのエリザベスがデートをはじめるようになったら、あなたいったいどうするつもり、失恋の痛みを味わわないように守ってやれるっていうの? 神さまは子供たちに人生を与えてくださったのよ、それをただ心配だからといって子供から取り上げるのは、あたしたちのすべきことじゃない。それがあたしの考え」 いかにも理にかなった、ものわかりのいい考えだ。それにしても、それにしても。 はたまた この日記の冒頭に掲げたような問題などなど あたしには まだ子供がいないので まったく想像したコトなかったんだけど 子供が生まれたならば ある種の覚悟を決めないといけないのだなあ(悩) と思ったのでした だから この本は子供が出来たらまた読もうと思うよ♪ そして あたしと結婚する人にも読んで欲しい いや、あたしまだ未婚だからさ~(笑) ところで 気になったのが ↑に挙げたような場合の対処方なんかは 子育ての実用書なんかに書かれてそうに思うんだけれど どーなんだろう??? 子育て本なんて モチロンあたしは読んだコトがないので どんな風に書かれているのか ちょっと気になるし あと ラジオの悩み相談室とか 「おもいっきりテレビ」とかに相談したら なんて答えが返ってくるんだろうね? とても気になる(笑) そんな感じで 上巻は非常に興味深く読んでいたあたしだったのですが! 下巻の中盤あたりから様子がおかしくなってきました それは 宗教色が濃くなってくるので あたしがちょっと引き気味になってしまったコト それと 終盤の展開が それまでに比べてテンポが速すぎるコト だから コレが90年代の一位 といわれてもびみょ~… 評価は と、あと半分かな でもベスト10には入っていてもおかしくないと思うよ♪ WARNING!! 以下はこの作品を読んだ方向けのお話です ところで この長編の元になった短編は この不思議な地球で-世紀末SF傑作選- ←画像がないね…(悲) に入ってるよ♪ コレ読むと ラストのあのオチがやはり書きたかったみたいです 長編の前半部分はさらっと流されるだけなので そのオチ↓ネタバレ反転 空想の友達は、実は空想ではなくで それは連続殺人犯に殺された子供たちの霊(?)で 大人には見えず、子供の中でもスティーヴィにだけ見えていた 両親に友達が空想でないコトを信じてもらえなかったスティーヴィは 単身、連続殺人をとめようとするが自分も殺されてしまう 霊となったスティーヴィは家族の前に現れ(その時点では両親は霊だと思っていない) 親たちにも殺された供たちが見えるようにする そして子供たちによって殺人犯が明らかにされ 犯人はつかまる 最後に実はスティーヴィも既に殺されていたコトが両親に明かされ スティーヴィはきえてしまう だからね~ あたしは言いたいんよ この話… 感動できるか~? あたしはメチャ悲しかったよ!(涙) ←コレもネタバレ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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