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令和が始まった。
振り返って平成はどんな年だったかって改めて思うと、丁度自分が大学2年目の時に平成になった。 丁度それまでは人に育てられてきた立場でいたのが、今後は自分の力で生きていく転換の年だった。 就職した時は、パソコンはあったが、まだ文書作成のワープロ替わりだった。 その後に確か一太郎ver.5が出た。ここでGUIっぽいのを初めて経験した。 で、ついに出たのが、Windows3.1! そしてインターネット! この2つで一気にパソコンにのめりこんだ。 もちろんその前から、パソコンはあった。PC-9801とかは初めて触った時は、驚いた。 ただやはり一部の会社とか、マニアの間だけだった。 ただ、この2つが一気に一般の人にとってコンピュータを身近なものにしたと思う。 そこからあっという間にITの世界が急速に発達した。 携帯電話が出来て、更に人の生活を変えたのが、スマホ。キッカケはiPhone。 そして今は、ビッグデータ、クラウド、AI。 その反面、犯罪や戦争も多様化した。それに対応する技術も大幅に向上した。 遺伝子工学も進んだ。不治の難病も直せる可能性がでてきたこともある。 その新しい病気も出てきたような気がする(あくまでも以前からあってそれが表面化しただけかもしれないけど) たった30年の間にここまで変わった。 長い日本の歴史の中でここまで技術や人の生活が変わったことは、ないだろうな。 あとは昭和初期の第二次大戦、太平洋戦争の頃か。 もちろん生まれていないので実感はできないが、あの時は戦争が技術革新を推し進めた形だった。 それを考えれば、平成の技術革新は平和の下での革新で素晴らしいなと思った。 この先の未来はどんな風になるか。 昭和の頃から今まで映画やアニメ、小説で色々近未来を描くものはあった。 2001年宇宙の旅から、ガンダム、ブレードランナー、マトリックス、AI、攻殻機動隊、ターミネーター・・・、 自分はまだそんなに観ていないが、実に想像力豊かな発想で色々みせてくれた。 自分はそんな想像力とかもないが、与えられた情報や知識をもとに想像するのも楽しい。 気が早いが次の元号までの間にどんなことが起こるだろう。。。 生きている人間の脳や記憶までにコンピュータが入ってくることはないだろうと思う。技術的に可能になっているとは思うが、やはり倫理上の問題かと。その代わりロボットは多く出てくるかな。あくまでも人間の制御配下のもので、人間に近い形のものは出てくるけど、あくまでも娯楽用って感じで装用には、もっと目的にマッチしたもの。 ただ一部事故とかで体を損傷した人がそれを補う形の機械との融合等は出てくると思う。 今だって義足で走る人とかもいるし。 不幸にも脳だけが生きているという状態になった人が、その脳だけを機械に移植しアンドロイドような形で生きる(ロボコップや攻殻機動隊の世界)ってのは、できると思う。正確には人の意識とかを信号化するものだ。情報量は凄いものだと思うが、一度できればそれをコンパクトにするのは可能だし、それを元にロボットにインプットできるし、そこまでしなくても、情報として生き続けることも可能だと思う。ある意味不死かもしれない。 ここからが重要だが、その情報だけの脳は自分の意思を持っているかどうかだ。 持っておらず、単にその人の脳にあった記憶等を情報化するまでのものなら、その範囲にとどまるだろうで問題ないかと思う。 ただ外部から情報を与えることでそれを蓄積することは可能だし、その内容によりその人の性格とかから行動パターンを作り出して答えたりすることも可能かなと思う。 極端に言えば日々情報をインターネット情報から収集することで、自分の性格を持った何でも知っている天才ができるかもしれない。 でも意思をもっているなら、ちょっと怖いかな。情報だけの存在なら、集めた情報を使って自ら行動をおこすことになることも容易だと思う。そうなると行先は映画「ターミネーター」の様な悪い方に進むような気もする。。。。 先には自分は死んでも自分の祖先が、情報化された僕と映像で会話していたりして。 なんてことを考えているのも面白い。 このブログも情報のみだ。少なくとも自分が生きているかぎりは残せる。 また30年後くらいに読み直した時にどんな風になっているか楽しみだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.05.01 11:25:08
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