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テーマ:伊豆諸島&小笠原(715)
カテゴリ:航海日誌(一泊以上)
宿(シークリフ)でおせち料理を頂き、餅つきを楽しんだ後、宿をチェックアウト。 宿の主人とトシエ達が波浮の港まで見送りに来てくれた。大島に客船で向かう人にとっては元町港か岡田港が一般港。でも、ヨットやモーターボートで大島に出かける人にとっては波浮港こそが表玄関。いつもココに船を舫う。 宿の主人をあまり待たせても悪いと思い、手早く出航準備。実はココで急ぎすぎてしまってじっくり出航準備が出来ていない状態で舫を解いてしまった。 デイクルージングとはいえ、横浜港到着予定は夜。シングルハンドで相模灘を渡るのだから、あせりは禁物。一同に手を振り車が見えなくなったところで湾内に引き返して再度準備を始める。 お湯を沸かして水筒に詰め、アンカーをしっかりしまい、ストーブのタンクをラッシングして、各種ロープをしまい、着替えをして、海図類を使いやすいところにセットして、ストームジブを取り出してベンドオンして、とあっという間に小1時間が過ぎる。 準備万端、1030波浮港を出港!港を出るとすぐに波は2m程、風は北西15ノット程度まで上がっている。 メインは2ポン、ストームジブを揚げて、西に向かう。風は次第にあがり、平均20ノット以上に。波も2.5m程。強烈なスプレーで全身ずぶ濡れ。 ちょうどいいので、ヒーブツーの練習をする。普段の練習時はあっと言う間に0.1ノット以下にまで対水スピードが下がるのだが、なかなか2ノット以下に下がらない。20ノット以上の風でヘッドセールがストームジブだとヒーブツーに工夫がいるようだ。 1200頃。出港して1時間半くらい。体調が最悪のピークに達していた頃、ジュン氏から電話。心配してくれていたのは分かったけれど、満足に受け答え出来る状態じゃなく、無愛想に返事をしてしまう。何しろスプレーが激しくて、防水でない携帯電話が安心して使える状況ではない。 電話のすぐ後、強烈なスプレーというか波を全身に浴び、突然PFDが開き始めた。そう、水を関知して自動的に膨らむボクのライジャケが、あまりに多量の水を浴びたために落水したものと勘違い。誤動作して膨らんでしまったのだ。脱ぐのも面倒くさく、結局ハーバーに着くまでこのライジャケを着続けることになる。 往路の一番大変だった時よりはちょっとましだったが、それでもこのコンディションが結局4時間ほど続く。これには、参った。でも、一番しんどかったのは最初の2時間。それをすぎると身体が時化になれて来るのか、コンディションは変わらないのに、波に身体が合ってくるものだ。波に逆らおうとせず、波の動きに抵抗しないようにすると、急に身体の力が抜けてくる。 1400には真上りになったので、ストームジブを降ろしてメイン2ポンだけにして機帆走。アルファ米のお昼をおいしくいただく事が出来た。初めての時化の中での食事。 1700頃、久里浜の手前あたりで安室さんから再び電話。この時は風も随分と落ち着き、波も収まっていました。 1730頃、とっぷりと日も暮れました。観音崎の東京マーチスに現在位置を通報。あけましておめでとうございます、と言ったら、向こうもあけましておめでとうございますと答えてくれた。良いねぇ日本人は(この項フィクション)。さすがに元日、東京湾はびっくりするほど空いている。 1900頃 猿島を通り越し、八景島を通り越し、横浜ベイサイドマリーナを通り越す。メインは2ポンのまま。 2000頃、やっと横浜市民ヨットハーバーに到着。膨らんだPFDを無理矢理外し、フォールウェザーギアを脱いで着替えてストーブをつけると、崩れるように船内で寝てしまう。起きたら23時頃、なんと3時間近く寝てしまっていた(^_^;)。結局そのまま船中泊をしてしまう。 行きも帰りもハードな航程だった。もちろん冬の相模灘を波浪注意報が出ている時に出港しているのだから、全て想定の範囲内。予想を超える風・波ではなかった。それでも実際に経験すると違うねぇ。これで随分と自信もついた!BlueMoonのヨットとしての性能も申し分なし。 ストームジブ 荒天時に使うセール。面積が極端に小さい。 2ポン 荒天時にはメインセールを縮小する。フルメイン→1ポン→2ポンとセールのサイズを小さくしていくので、2ポンというとそれより小さくできないぎりぎり小さいサイズと言うことが出来る。 真上り 進みたい方向から風が吹いてくること。こうなると、セールボートはジグザグに進むか、帆走を諦めてエンジンを回すしか無くなる。 スプレー 船首がかき分けた波が、風に流されて乗員に吹き付けてくることを言う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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