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テーマ:筋トレ(580)
カテゴリ:凸減-ケンコウ-
遠い未来の予想です。
脊髄反射なさらないようにお願いします。 ※マッチョ:筋肥大を積極的に行なった体形、と定義 ボディメイク、という言葉がある。 これは、「理想の美しい体形」をつくる、という意味だ。 マッチョであるボディビルディング等も、これに含まれる。 しかし、ここで問題が発生する。 「理想の美しい体形」つまりは、見た目を追求したはずのボディメイクした体形が、「気持ち悪い」と評価されることだ。 それは、なぜなのだろう? ・劣等感を刺激する 鍛えあげた肉体、というのは、程度の差こそあれ、誰もが一度は目指す。 そして、大多数は失敗する。 つまり、過去の失敗の裏返しでの嫌悪感が、「気持ち悪い」と言わせるのではないだろうか。 ・威圧感がある マッチョは、骨格に対しての筋肉量が多いため、大きく見える。 本能的に、自分より大きな体形は、恐怖を煽る効果がある。 つまり、恐怖心が不快、と感じさせるのではないだろうか。 ・笑顔が気持ち悪い マッチョは、競技会のステージでは、笑顔だ。 イメージ写真でも、競技会での姿(笑顔)が使用されることが多い。 笑顔は、好意以外にも、悪意として表現に使われることがある。 つまり、威圧感と相まって、恐怖心を感じさせるのではないだろうか。 ・頭が悪いと信じる マッチョになるには、非常に精密な論理体系とそれを実践する自制心がないと難しい。 しかし、過去の失敗の裏返しでの嫌悪感からか、否定のために卑下した、頭が悪いイメージを信じる傾向がある。 つまり、頭が悪いから何をするかわからない恐怖心を、勝手に感じるからではないだろうか。 ・血管、筋繊維が気持ち悪い マッチョは、その筋肉量だけではなく、体脂肪率も極めて低い。 その結果、血管や筋繊維が皮膚から透けて見える。 つまり、これらが「気持ち悪い」のではないだろうか。 ・鏡を見すぎて気持ち悪い マッチョは、フォーム、ワークアウト効果、筋肉の状態を見るために、鏡をよく見る。 バレーのレッスン部屋が鏡張りなのと同じなのだが、未経験者では、必要以上に鏡を見ているように誤解しがちだ。 つまり、自己愛的な感じが「気持ち悪い」のではないだろうか。 ・残念シーンの目撃 マッチョの日頃からの鍛えている話を聞いていた上で、小学校運動会での父兄参加の徒競走が遅かったり、駅の階段で息切れしているのを目撃するなどがある、と「鍛えている」とのギャップに根拠のない自慢話に感じてしまい「気持ち悪い」のではないだろうか。 さて、マッチョが「気持ち悪い」と思われてしまう可能性をいくつか上げてみた。 しかしこれは、非マッチョ側の視線だ。 ではマッチョは、なぜマッチョを美しい、と感じるのだろう。 ・筋肥大の努力を含めての美しさ 筋肥大は、非常に難しい。 更には、体脂肪率をその筋肉を維持したまま減少させるのは、もっと難しい。 そういう行為全てを含めた結果だからこそ、美しく感じるのだ。 なので、裏の努力を知らない非マッチョには、美しい意味がわからず、自分の美意識とのズレを「気持ち悪い」と感じてしまう。 その「努力の結晶」であることを理解してこそ、美しい、と感じられるのだ。 つまり、個人の好みもあるが、見た目だけを結論づけて言えば、行き過ぎたマッチョは、美しくなく「気持ち悪い」のだ。 だからこそ、マッチョは、その美しさを理解できない人の美意識を「素人の意見」として耳に入れない。 だからこそ、マッチョは、本気で「マッチョになりたくない」という発言に対して、「まずはマッチョになれてから言え」とマッチョになれないヘタレ扱いし、本気で「なりたくない」の意味を考えないのだ。 だからこそ、マッチョは、筋肉を鍛えたくないんです、という女性に対して、「どうせムキムキにはなれない」とヘタレ扱いするのだ。 だからこそ、「筋トレで人生が変わった」とマッチョに言われても、その美意識の違いから、価値観に頷けないのだ。 前置きが長くなったが、筋肥大に「努力」が必要なくなったら、どうだろう。 薬品で、器具で、手術で、手軽に筋肉も脂肪も好みにできる遠い未来。 マッチョになるのに「努力」が必要なくなった世界では、マッチョの見た目の評価は、どうなるだろう。 マッチョの主張する美しさは、そんな時代に、生き残るだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020/07/07 09:02:47 PM
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