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カテゴリ:教育
「フランクフルト時代のクレーマーとのえんえんと続いた議論を通じて、 私はまず、偉材が国政を司ることの矛盾に気づいた。 偉材にその任を託さなければ、ビジョン、リーダーシップ、業績は期待できない。 凡人は何もかも台無しにしてしまう。 けれども芸術や学問などの場合と違って、国政の場合には、個人の業績は長持ちしない。 が、長持ちさせる必要がある。 そのためには、偉材の後釜には偉材を据えなければならない。 だが偉材が去った後にはほとんどの場合、人的空白が残る。 結果、自分が受けた教練以外何も知らない、ディズレーリの言う『海兵隊の大尉』が後を継ぐ事になるのである。 私は彼とえんえんと議論を重ねている間に、 偉材が公の職務に就いている場合に生ずる矛盾、 とりわけ組織の中で───政府、大学、企業のいずれを問わず───活動している場合に生ずる矛盾を解く事に、 終生変わらぬ興味を抱いた。というのは、それが解消可能な矛盾だからである。 セシル・バーレーは身辺に第一級の同僚を配し、 また息子を一級の後継者に育て上げる事によってこの矛盾を解消した。 ジョージ・ワシントンもまた優れた後継者を星のように残した。 ジョージ・マーシャル将軍も同様だった。 実業界の例では、その昔『大君』と中傷されたジョン・ロックフェラー一世や、 アンドリュー・カーネギーがいるし、 それ以前には日本の三井、三菱の創始者たちがいる。」 …P・F・ドラッカー 傍観者の時代 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Nov 19, 2005 08:39:39 AM
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