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Dec 22, 2006
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カテゴリ:仕事

「私はこれまで意見の相異が生じた場合、それに対する理論づけをやめて、
 行わなければならない具体的な活動についての問題に移ると、 
 そのような相異が解消されることがいかに多いかを興味を持って注意して見てきた。

 ある労働組合の会議で、ムダの問題が取り上げられた。
 労働者はどのようにすればムダをなくすことに協力できるか、という問題である。

 しかし、この会議では、労働組合の人間の多くは、
 ムダをなくすことは労働者のすることではない、と考えていたことが判った。
 賃金は労働組合によって団体交渉を通じて定められているから、
 ムダをなくして節約したもの全てが経営者の利潤をふくらませることになる。
 したがって、労働者のふところには少しも入ってこない。
 しかし、その反対の観点もあることがわかって、議論も進められたが、意見の一致は生じなかった。

 だが、議長の巧みな議事の運びで、
 労働組合も認めることができる種類のムダがあることが承認された。

 それは、機械工、鉛管工、大工が、この種のムダに対する問題に、
『責任を取ることにどの程度まで同意できるか』、について、
 それぞれの組合で取り上げることを約した。

 それから、この問題が実際的な問題として考察されるようになったとき、
 ある形の無駄に対しては経営者側に、
 ある種の無駄には従業員に、
 またある種の無駄に対しては組合に、責任があると言う事実が表面に出たことと思う。」


…ムダをなくすことは、経営者にも労働者にも恩恵があるかもしれないが、
 そうでないかもしれない。
 なぜなら、このとき、『無駄』は多種多様なシンボルだからである。
 人々は、どういった種類についてのムダを扱っているのか判らなかった。
 こうして、『ムダをなくすことの恩恵についての相異』が生じた。

 議長は、その問題への理論づけを休止し、
 それぞれの職人がムダに対して責任をどこまで取るのか、という具体的な問題に移った。
 その結果、この種のムダは労働者に、別のムダは経営者に、また別のムダは組合に、
 責任があるという事実が、表面化する。
 
 そうすれば、曖昧なシンボルだったムダが、より限定された無駄となり、
 この種の無駄は誰々が責任を負う、ということになり、
 自然に、『ムダをなくすことの恩恵について』の相異が、
 『この種の無駄は、誰々の責任であると約する』ことによって、解消された。

メアリー・パーカー・フォレット:管理の予言者 監訳:三戸公先生・坂井正慶先生

 
 





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最終更新日  Dec 22, 2006 02:16:42 PM
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