眼光と礼拝
思うに、自分が人生で苦痛と恥に満ちた期間を無効化することを、無意味化することを、克服だと思っていたことが間違いだった。あの体験は消しようがなく、苛立たせるが、無価値ではない。自分というものが、図らずも自分が自分に対して最も正直だった期間だ。そんな自分に、僕は墓を作った。自分の本質を墓に押し込んで、忘れて、周囲に、時代に、適応してしまいたかった。それでもやはり、僕が生きるには、生命と欲望の眼光を発しながら生きるには、あの生命力が必要なんだ。僕は誠実を軸とし、紳士たることを求めた。今までそれは、他人に対して、世間に対しての自分へだった。自分に対して、僕は誠実で、紳士たらねばならない。それが、墓に対する礼拝となろう。