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カテゴリ:アメリカの断片
娘の高校で車の洗車をお願いしたことがある。
可愛い女の子が洗車、$5のカードを見せて、道路で声をかけているので何かと思ったら水泳部なんだそうだ。月に1回土曜日にこういうことをやって、部活の費用を稼いでいるらしい。 日本で部費が不足していたら、学校が負担しなければならないと父兄は思うだろうし、最低限の費用は部員の父兄が均等に負担することになるだろう。私はこの点ではアメリカの現実的な対応って好きだし、子供にだって良い影響を与えると思う。 それでも、アメリカでこういうやり方が良しとされているのは教育的に良かれということとは別の事情もあるのだろうという想像も働く。 アメリカではよくも悪くも動きが早く、大きい。本当によくも悪くもなのだ。 カリフォルニアの経済はシリコンバレーのバブル崩壊とエンロン・スキャンダル以降、巨額の赤字に苦しんでいる。あちこちで予算カットが進んでいるのだけれど、こちらは自治体の独立性が高い分、地域で大きな格差を生む。 私の住んでいる2つ隣の市は全公務員の3分の1がくびになってしまった。当然学校も対象で、先生もカウンセラーも大幅カット。その隣の市はそれ程ではないけれど全学校の校長の半分が首を切られ、残った人が2校を分担してみることになったという。さらに別の市は貧困層が多く、そこでは予算カットに反対してハンガーストライキを始めたと新聞で読んだ。 日本でも地域格差は平等の精神に反するという声が聞こえるけれど、こっちのは半端じゃないぞ! そうした社会で暮らせば、お上の支援がなくなったとき、父兄が、地域がなんとかするしかないと動いてきた結果が自助努力の精神とまめなボランティア活動となったのかもしれない。 バブル崩壊前の日本は1世代くらいの期間、経済的にあまりにも順調で、身近な助け合いがなくてもやっていくことができたのね。それにそういう付き合いはしがらみだの義理だの面倒なことも多かったから、自分の面倒は自分で見るから、余計な世話は焼かないでちょうだいと言ってのけるのはとても心地良いことだったと思う。私もそう思っていたクチだ。 日本の社会も景気がこのまま低迷し続けたら、いつでも好きなときに、純粋に困った人の力になりたくてするボランティアだけではなく、舌打ちしながらこれも社会への義務だからという支援活動も増えてくるだろうか。 少し不自由で窮屈を感じるかもしれないけれど、私はそれはいい事のような気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004/08/04 11:02:31 PM
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