テレビを見ていて、りおが話しかけてくると正直うっとうしい。テレビと関係なく、ふと思い出した話題のことも多いし、そうでなくても、話し方が拙いからテレビのテンポにはついていけない。
人間のできていない母親はそれでもそれなりに辛抱を発揮してあいづちを返していたのだが、りおがこっちにしっかり顔を向けているのに気づいて、あれっ、と思った。
姉娘はテレビを見ながら話す。こっちを見るとしてもちらっと見るくらい。画面を見ながら、「すごい雨だね」とか、「この歌好きだな」とかいう。
りおは集中力がないので、勉強を教えていてもよく視線が泳いでいる。でも、本当にいらだつのは注意をしてもこちらが期待している所に視線が来ないことだ。ここを見て、と指で問題を指すと私の顔を見る。顔を見るんじゃなくて、ここ!いや、ここと言っても分からないか、指で指しているところ!ほらこの式が、と言っているのに今度は自分の指先を見る。やっと、見ても無理やり見させられているという感じで、とても勉強の説明どころではない。
そのときようやく、これが三項関係の不全ということか!実感した。先日の日記にも書いたのだけれど『自閉症―私とあなたが成り立つまで』著者:熊谷高幸 の中に子供が社会の中で関係を気づいていくための過程が述べられている。最初に母と子供の二項関係が成立する。その次に、母親がおもちゃを指し、それで子供が一緒に遊ぶという、私とあなたと物の三項関係を学ぶとある。
自閉度が重い子は二項関係を作るのも難しい。母親を認識することさえなく、外界から遮断されたような振る舞いを見せる。自閉症の研究の初期に認められたのはこのような顕著な障害の人たちだ。その後明らかになったように、自閉症にも軽重があり二項関係はできても三項関係でつまずく子供もいる。
読んでいたときは、そういうものなのか、りおが幼児のときはどうだったかしら、と思っていたけれど、なんのことはない、今でもできていないんだ。全くできないわけではないから気がつかなかった。一緒に本を読むくらいはできるものね。
人と一緒に何かをするという基本となるとても重要な機能なんだ、これは。
どうやって、意識していこう??
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