東京電力・福島第一原発の事故の後で設置された原子力規制委員会の委員を10年間務めてこの度退任した石渡明氏は、10月19日の朝日新聞で、インタビューに応えて次のように述べている;
原子力規制委員会の委員として、活断層の審査をめぐって原発の再稼働を認めない結論をまとめ、60年超運転に道を開く法改正に異を唱えた地質学者が今年9月、退任した。未曽有の大事故から13年半、いつか来た道に戻ってしまってはいないか。地震や津波対策の審査を10年間率いた石渡明さんに聞いた。
――日本原子力発電敦賀原発2号機(福井県)の審査では、直下の断層が活断層である可能性を否定できず、新規制基準に適合しないという結論をまとめました。一部に、証明しようがないことを求める「悪魔の証明だ」との批判もあります。
「新規制基準をもとに審査した結果です。事業者から見れば悪魔かもしれませんが、大した悪魔ではない。すでに17基の原発が審査に通り、うち12基が再稼働しました。事業者が、詳しい調査で、断層が動いていないことを証明し、『否定できない』とした有識者会合の結論が覆った例もあります。電力各社から見れば17勝1敗。これで相手が強すぎると言えるのか、と思います」
――地層の観察記録の書き換えをはじめ、原電側にも問題がありました。
「事業者は、何としても審査を通すのが至上命令ですから、科学的な妥当性よりも自分たちのストーリーに沿ったデータを集めがちです。原電は断層の幅のデータを出していませんでしたが、確認すると最大3メートル、平均約70センチと大きかった。十分に調べないまま、それだけの断層が、調査地点から延びずになくなると言っている。ちょっと信じがたいです。基本的なデータをきちんと扱っていない不備があったと思います」
――もともと敦賀原発の敷地内には、「浦底断層」という活断層がありますね。
「米カリフォルニア州では、建設計画があった8原発のうち4原発が、活断層が見つかって建設中止になっています。2原発は運転開始後に近くで活断層が見つかり、運転をやめました。その後、別の原発の近くで活断層が見つかったときも、電力会社がすぐに規制当局と対応を協議しています。一方、浦底断層は1991年に専門書で活断層だと指摘されましたが、原電が活断層と認めたのは2008年。動きが全然違います。反省すべき点です」
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――そもそも規制委員の仕事を引き受けたのはなぜでしょう。東日本大震災で東京電力福島第一原発事故が起きたときは、仙台にいましたね。
「たまたま調査用に線量計を買ったばかりで、各地の放射線量を測って回りました。何かあるたびに高くなる。これは大変なことが起きたと思いました」
「869年の貞観津波の痕跡は、仙台平野を掘ればどこでも出てきます。あれだけの大津波が過去に来たことは地質学の世界では知られていた。原発も、その可能性をきちんと考えて対策を講じておくべきだった。事故を起こすと影響が大きいシステムにはもっと総合的に地球科学を生かす必要がある。そう考え、委員を引き受けました。福島のような大事故を二度と起こさせない、それに尽きます」
――原子力の世界に入って感じたことは?
「私はずっと、地質学など理学の分野をやってきた人間です。一方、原子炉を作って運用する人たちは大部分が工学系で、規制委もそうです。工学系は理学系と考え方が全然違うんですよ。何というか、人間が万能のように考え、きちんと設計して施工すれば、きちんとしたものができる、と。その外側のことはあまり考えないですね」
「地震は日常的に経験していても、津波や火山になると、なかなか想像の範囲に入ってこない。どういう危険が具体的にあるのか、なかなか思いが至らない面があると思います」
「地球科学的な現象は、普段生活しているスケールをはるかに超えています。研究者なら10万年前、100万年前に何があったかをイメージできる。ビシッとした答えが出ることはめったになくても、自然の複雑な動きをどう理解すればいいかを身につけている。それが存在意義だと考えてきました」
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――日本列島はプレートが沈み込み、地震や火山が活発な「変動帯」です。原発の利用について、どう考えますか。
「日本で生活している以上、原発を使いたいなら日本に適したやり方をするしかありません。もちろん、やめてしまう手もありますが、幸い規制委ができてから大きな事故は起きていない。規制機関がきちんと監督や検査をし、事業者も緊張感をもって運転する仕組みがそれなりに機能してきたと思います」
――政治家や原子力業界からは審査期間の長さを問題視する声もたびたび出ました。圧力はありませんでしたか。
「誰かから直接、『審査を早めろ』と言われたことはありません。よく行政審査は2年が原則だと言われますが、じゃあ2年で審査が終わらないものは不許可にしてしまえば迅速ですけど、事業者は『それは困ります』となりますよね。我々だって引き延ばす理由は何もない。長期化の大部分は、事業者側の責任だと思います」
「およそ科学的に納得できないような考え方を持ち出してきて、これで大丈夫なんですと言い出す。それを受け入れるわけにはいかないですよ。『ならば、その根拠を出して』と言うと、その調査だけで1~2年かかる。時間がかかるのはやむを得なかったと思います」
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――昨年の国会で、原発の60年超運転を可能にする改正法が成立しました。経済産業省が主導し、規制委側が歩調を合わせた形です。石渡さんは「安全側への改変とは言えない」「審査をする人間としては耐えられない」と、委員でただ1人、法改正に反対していました。
「原子炉等規制法に原則40年、最長60年という明確な数字が書かれていたわけです。福島の事故を受け、国会の議論を経て決まったことです。私はこの法律を読んで、これを守るということで就任したわけで、それを勝手に変えてしまうのは納得がいきませんでした」
「新しい知見が得られたといった理由があるなら別ですが、それもない。しかも、審査が長引いた分を運転できる期間に足すという話ですから、どう考えてもおかしいですよ。今も考えは変わっていません」
――規制委が20年にまとめた見解が逆手に取られ、経産省に主導権を奪われたように見えました。電力業界の声を受けて出したもので、「運転期間は原子力利用に関する政策判断にほかならず、規制委が意見を述べる事柄ではない」としていました。後悔していませんか。
「当時は詳しく議論していませんでした。あれが重要な意味を持つということは、私自身うかつだったかもしれないけど、気づいていませんでした」
――事故の教訓の風化や規制委の変質を懸念する声もあります。
「私自身は一生懸命やったつもりです。どんな組織でも、やっているうちに問題は出てくるものですが、規制委は公開の場で議論をしています。ネットで中継され、即座に全国放送になる。あの緊張感たるや、本当に胃が痛くなります。事業者もこちらも相当なストレスですが、おかしなことは言えない。やはり公開でやっていくしかないと思うんですね」
――事業者には「公開の場では言いたいことが言いにくい」という意見もいまだあります。
「これを譲ってしまったら、規制委は終わりだと思います。むしろほかの役所にも広がれば、日本社会も変わってくるのではないかと思いますけどね」
(聞き手 福地慶太郎、編集委員・佐々木英輔)
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<いしわたり・あきら> 1953年生まれ。金沢大教授、東北大教授、日本地質学会長などを経て、2014年9月、原子力規制委員に就任。原発の地震や津波対策の審査を担った。
■取材を終えて
前任の委員だった地震学者、島崎邦彦・東京大名誉教授も、自然に対して謙虚であることの大切さを強調していた。地震や津波、噴火といった自然現象は人の想像を超え、思わぬ被害を引き起こす。わかった気になったり、軽く見たりしたまま原発を扱うのは危うい。
そもそも規制委は、原発の運転を容認する前提でできた組織だ。審査は安全対策が一定の水準にあるかどうかを確認するもので、絶対の安全を保証しているわけではない。石渡氏も、どこまでのリスクを許容するかは「社会の価値判断」だと言う。
「核のごみ」処分も含め、日本列島で原発を扱えるのかは長く議論になってきた。一方で事故から13年が経ち、原発回帰の動きも目立つ。今後のエネルギーを考える上では、原発事業者は信頼できるのか、規制が将来にわたり機能するのかという視点も欠かせない。
(佐々木英輔)
2024年10月19日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ 「オピニオン&フォーラム-原発『来た道』戻らぬように」から引用
この記事はなかなか面白い。工学部出身の学者は「しっかりした設計図に基づいてしっかり施工すれば問題ない」と考えるようだが、理学部出身の学者は一千年、一万年の単位で自然がどのように変化してきたかを認識して今後のことを考える、という指摘は「なるほど」と思いました。また、カール・マルクスの「資本論」には、「“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。」との一節が有名ですが、原子力発電所をもつ電力会社経営者なども、原発は自分が生きてる間だけ無事故で運転できれば、後のことは後の者が良いようにしてくれるだろう、くらいの気分でいるのではないかと思いました。この狭い国土に、すでに50基を越す原発を作っておきながら、さらに新増設を目指すという自民党や国民民主党の「企み」は、是が非でも止めさせるべきです。