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カテゴリ:ヘンさ値
しかし暑いですなぁ・・・ みんなぁ、クーラー病にかかってないッスかぁ! 素盞嗚君は大丈夫♪ 自宅は3年前からクーラーぶっ壊れてるし、 実家事務所にゃもともとクーラーないし・・・・ トホホな人生・・・・・ 今も実家事務所でパンツ一丁でーす! え?ソフト? 今日はお祭りなんでお休み♪ なもんで、ちょいと実家事務所で仕事をやっつけてました。
さて、遊び人の母素盞嗚、「横須賀ヨーコ」の話です。 もともと家でジッとしてるのが嫌いな「横須賀ヨーコ」は スーちゃんが幼少の頃から速記記者をしとりました。 横浜に引っ越してきた昭和44年を期に 速記は辞めたんだけど、 どこで知り合ったんだか、 20台の若いニーチャンと意気投合して、 横須賀の三笠通りでブティックを開業しちゃいました。 そーは言っても経営能力があるわけでもないんで 3年で借金抱えて倒産・・・・ 結局、父素盞嗚に泣きついて 借金を返済したようなんですね。 当時父素盞嗚は北海道に単身赴任してたんで、 「お前を野放しにすると何するかわからん! お前も北海道に来い!」 てなわけで、夫婦は北海道。 その後素盞嗚君は姉二人に育てられたんです。 そんなある日、「横須賀ヨーコ」から1通の手紙が・・・・ 「スーちゃんや、元気でやってますか?あたしは北海道で とーちゃんとなかよく暮らしてるから心配しないでね♪」 てなことが書いてありました。 当時中学生だった素盞嗚少年。 何度もその手紙を読み返し、涙したモンです・・・・ その手紙を封筒の中に戻して、 大切に机に引き出しにしまおうとした瞬間、 何気なく封筒に押された消印が目に入りました。 ・・・・・・・ あれ・・・・
横須賀ぁ???
お袋、北海道にいるんじゃないの?
あとで聞いたんだけど、 母素盞嗚は北海道の父素盞嗚のトコにいってすぐに 家出したそうです・・・・ そんで、ブティック時代に知り合った 二廻りも違う画家の青年と一緒に また横須賀で、今度は画廊の経営をしとりました・・・・
ほとぼりのさめた頃に家に戻ってくると、 「スーちゃん、アタシは芸術革命をするよ♪ そんで今、本書いてるから。 スーちゃんも登場してるんだよ。 名前はね、哲っていうの。 かっこいいでしょ♪」 「横須賀ヨーコ」が熱く語ったのが今でも 鮮明に思い出されます・・・ あきれた父素盞嗚は 「もー勝手にせい!」 ってなもんで、 あたしたち子供3人は、 「応援はするけど、人に迷惑はかけないでね・・・」 ・・・・・ どっちが親だかわからん・・・・
横須賀の画廊はそこそこ成功して、 安定してきたと思ったら、 「スーちゃん、今度ね、 八ヶ岳でペンションやろうと思うの。 1階は画廊とアトリエで、2階を宿泊施設にして、 絵描きが集まるペンションやりたいの♪」 「どーせ、反対したってやるんだろ?」 「うん♪」 「横須賀ヨーコ」この時、60歳・・・ それ以来、4月から9月末までは八ヶ岳、 10月になると横浜の家に帰ってきます・・・・ 現在79歳、 今も八ヶ岳にいっておりまぷ・・・・
そーそー、「横須賀ヨーコ」に逢ったら、 こう聞いてみてください。 「あんた、いったい何歳だい?」
「ふふ、マリリンモンローと同い年よ♪」
きっとそう答えてくれますよ。
さて、この夫婦のヘン差値には続きがあるんです。 一昨年の秋、中国から帰国した父素盞嗚、 とんでもない土産を持ってきました・・・・・ さすがに肝の太いスーちゃんも唖然・・・・
素盞嗚家にいったい何が届いたんだぁ!
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