|
テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:カテゴリ未分類
西暦517年に「継体」という 年号から始まった九州年号。 なぜ「継体」などという漢字をあてたのか? この頃の中国の資料を見てみました。 この頃の中国、 特に倭国とかかわったには南朝だ。 「宋」「南斉」「梁」「陳」と続いたんだけど、 各王朝の国史を見ると、 「宋書」「南斉書」では、 倭国とは良好な関係がよくわかります。 もちろん倭国は臣下の礼をとってるんですね。 ところがね、南朝最後の王朝「陳」の国書では 倭国の記事が一切出てないんです! お隣の高句麗・新羅・百済のことは書いてあるのに 倭国のことは、存在すらなかったかのごとく、 一切書かれていない・・・・ これはどう考えればいいのか? んで、もう一つの王朝「梁」の国書を見てみた。 倭国関連の記事、出てました。 最後の記事は西暦502年(天監元年)だ。 ここに驚くべきことが書いてあったんです!
「おーい!素盞嗚君。 そろそろ帰るぞぉ!」 うわ、今日は東京のある事務所にいるんだけど、 みんな帰るらしい・・・ カギ持ってないし・・・ はーちゃん、ゴメン! またいいところで終わりッス・・・・
明日は長野。 4時起きッス。 SEE YOU NEXT TIME
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|