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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート
なぜか今、新潟の上越国際にいます。 えー、さっそく前回の続きです。 この碑文の中に有名な一節があります。
百残を破り、□□□以って臣民となす」
解読不能になってるんですが、 前後の文脈から、
と読むと通常考えられています。
百済と新羅をやっつけて子分にしたっていうんです。
この通説に待ったをかけたおっちゃんがいたんです。
こんなこと書いてます。
歴史家にかせられた重要な課題のひとつは、 皇国史観の侵略的本質を徹底的に打ち砕くことであろう」
こんなイデオロギーに凝り固まった 思想的歴史観でものごとを判断するとは、 素盞嗚氏には信じられんのですが、 この論文が発表された時、 当時の学会はずいぶんアタフタしたんだそうです。
要所において悪質な改ざんを受けたものだ。 削り取り、石灰で新たな文字を造り上げ、 それをあつかましくもふちどり文字にして持ち帰ったものだ」
石碑の面に紙をあて、 字の輪郭を墨でふちどって字形をつくるものです。
酒匂(さこう)大尉であーる!
最初に日本へこの碑文のふちどり文字を 持ち帰ってきた人なんです。
さらに酒匂大尉が属していた陸軍参謀本部が 「酒匂の犯罪行為」を隠すために さらに大掛かりな「石灰塗布作戦」を行った、 そう言ってるんです。
その事実を知らずに虚構された行文を妄信し、 そして4世紀に天皇家が すでに朝鮮半島に大掛かりな進出を行っていた、 という証拠として使ってきた。 と言うんですね。
心情的にも・・・・ 碑文をどう改ざんしたというのかをみていきませう。 今日は歴史のみ! SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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