脳みそよじれる「女性中央」前編。。。。
『女性中央』より 黒字=記者 青字=ヨンハ “5年の空白が終り ドラマで国内復帰。屈曲多かった三十二歳 男の深い内面告白”何日か徹夜で撮影でもしたような痩せている姿の彼がスタジオに入った。面識も無くほぼ初対面。全身をまとっていたぎこちなさと距離感のコートを脱ぎ捨て、彼がそっと心の中の話を下ろすと、いつのまにか空気は馴染みの間柄に変わった。パク・ヨンハ,彼が5年ぶりに帰って来た。その間日本で歌手として活動して更に強固になった ‘韓流スター’という修飾語をつけて。 静かに蒸発して ‘韓流スター’になって帰って来る韓流スター、パク・ヨンハ。ペ・ヨンジュン,グォン・サンウ,イ・ビョンホンなど代表的な韓流スターと呼ばれる人々と同様、パク・ヨンハという名前の前にももちろん韓流スターというタイトルが追い付く。去る2002年ドラマ ‘loving you’を最後に主な活動舞台を日本に移した後、日本ゴ-ルドディスク 3年連続受賞,オリコンチャート最上位圏進入などの快挙を成して堂々と韓流熱風主役に位置づけた彼。しかし自らは負担が大きいと言った。「黄金漁場(韓国のバラエティー番組)」の 「膝打ち道士(人生相談)」に出たキム・ユンジンが‘ワールドスター’ というタイトルが負担と言いながら悩みを吐露したように、いつのまにかパク・ヨンハという名前の前に間違いなく追い付く ‘韓流スター’というタイトルが窮屈だということ。『5年前日本へ行く前に最高のスターだったのでもなくて、俳優としても歌手としてももっともらしいタイトルを持った人ではなかったじゃないですか。日本活動を始める時も「パク・ヨンハ日本行く」といったふうに知らせたのではなく、静かに蒸発したんです。その後日本活動話が記事化されながら、人々反応が「あ、この子も日本行ったの?皆行くね」でした。反対に日本では韓国最高の俳優,最高の歌手が来たと歓迎してくれました。出演したドラマの中に 「冬のソナタ」が一番知られた作品なのに、主人公はペ・ヨンジュンであったし、アルバムも「初めて出逢った日のように」というドラマ「オールイン」のOSTを歌っただけでライブ歌手でもなかったと。それでは人々がまた謙遜だと言います。そうしようと思ったのではないが...また国内に帰って来た時、蒸発した5年の間拡がったイメージのため待遇を受けているという気がしました。それが私には負担であるんです。今までの5年間自分では私が何をしたのか分かって熱心に活動したと思うが、人々は分からないじゃないですか。ただ 「韓流」というタイトルが付いたから、もう一度振り返るのです。そのストレスが私にはとても大きいです。』言葉ごと、行間ごとにその間の悩みがそっくりそのまま伺えた。人気絶頂のスターたちが言葉とおり謙遜の次元で「負担」をああだこうだと言う事とは違う。20代に発って 30代になって帰って来た歳月の深み程一層成熟した男の重みも感じた。しかし彼がこんな人間だったとは。率直に盛んにスポットライトを受けた時代。それに対する好奇心がちょうど生じようとしていた瞬間に、彼の表現のように「蒸発」したからパクヨンハという人に対してまともに知る機会がない事も言った。『その間たくさん変わったんです。得たこと,学んだことも多いです。一応日本語ができるということ、日本人と座って長い間話すことがわりとできるので。結構言う事は合ってますよ。初めには人々が私に対して何と言うのかそのニュアンスがとても気になって日本語を学び始めました。後で分かったんです。良く言う時は良く言って、悪く言う時は、ほこり(自分の欠点)が出ないようにするということを(笑)。何より第2外国語ができると思ったら自らとても違ったように見えることあります。今は英語を勉強しようと準備しています。もっと大きい市場で働いて見ると考えも肯定的に変わって余裕も生じたんです。振り返れば、ひと昔の私はどこから来たのか分からない無駄な自信感があったようです。「私も芸能人なのに」と思う事があるじゃないですか。その時はひたすらスターを夢見たし、なると思いました。5年ぐらい経てば最高の兄さん達のようになっているだろうと。その兄さん達とまったく同じような所属社に入ればなれると思ったんです。そんな公式化された手続きを重要に考えたみたいです。どうしてそうだったのか....。今ですか?芸能人ではなくても良いです。そのまま舞台に立っている時は歌う歌手、演技をする時は演技者、それだけです。幼い時のようにいつも,どこに行っても芸能人であるふりをしようと思えば大変です。すべて下ろしたら、いくらか楽なんですが。』 人々が私を忘れてしまうんじゃないかという不安との戦い事実が気がかりだった。結果的に日本で活動して、過ぎた5年が外的でも内的でも彼を成長するようにしたが、敢えて国内活動をぱったりと切ってある日急に蒸発する必要があったのか。その上「冬のソナタ」で「オールイン」のOST歌手で、国内でも彼の志が一段階アップグレードされた時点の話だ。幸い(?)スポットライトを受けながら帰って来たが、短くない空白が致命的かも知れない事を分からなくなかったのに。『「冬のソナタ」の運で日本へ行くようになったが、プロモーションを引き受けた日本企画社で、今後の 5年間はパク・ヨンハがアルバムを出して何をしても搖れないだろうと、2~3年分計画を決めて置けと、1月,5月,9月にアルバムを出して合間合間に公演をする方式だったから、同時に韓国で活動をするのが不可能だったんです。私が「いつからいつまで時間ができるから、その時期にどんな作品を誰としたいです」と、言えることじゃないですよ。国内活動をしたい気持ちはやまやまで良い作品が入って来ても、予定が長いと2ヶ月だから、行ったり来たりすることができる状況ではなかったんですよ。そうしてみるとできなかったでしょう。日本活動に集中するためにわざわざしないこともなかったです。所属社立場もあったんです。当時日本活動だけでも収入が良く、またつつがなくしておけば長い間できることという期待感もあったようで。その状況を後悔することはないけど、どうしようもなく満たされない部分が私を大変にさせました。公式日程外に大部分の時間をソウルで過ごしたけれども、人々に会わなかった理由がそのためだったんですよ。人々がいくら「お前よくできた」と良いことを言ってくれて、私の前に 1万~2万名の日本ファンが私の歌を聞いていても、満たされない一つの部屋があるのです。親友であるソジソプ氏がドラマ「ごめん愛してる」で成功した時も、一緒に苦労した十年来の親友であり、一部屋に日照りを解消したと言うのが涙が出るほど喜びながらも、「私はここで何をしているか・・・」という、なんだか分からないやるせなさが出たり入ったりしたんですよ。人々が私を忘れるんじゃないかと思う恐ろしさもひどかったです。それ位恐ろしいことはなかったんですよ。』。。。。。。。。。(○∇○) 。。。。。。。。。自力翻訳、ここで力尽きる。。。。。バタっ!後半部分に取り掛かる前に、暫し「ICU」へ。。。。。。ヘ(。□°)ヘ ぴょよよ~ん♪またねぇ~~~( ´ ▽` )ノ ぱいっぱーい♪