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テーマ:子育て現在進行形(1980)
カテゴリ:子ども
このところ、悲しい事件がたくさんある中で、
また今日もおこりました。 親が息子を刺した?という事件。 そんな事件が他人事ではなく、 自分の周りにも、そして自分の中にある狂気の中にも あるのかもしれないと思うこのごろ。 そして、急激に社会が変わっていくこの感覚は、 まだ貧しかった昭和30年代を引きずっていた昭和40年初頭から、 大阪万博(私は大阪人なので、これが高度成長期の象徴だと思っています)の 昭和45年前後の世の中の急変にとても似ている気がするのです。 (高度成長期は右肩上がり、今は右肩下がりです) 私は小学校時代の半分を40年代の前半に 後半を40年代後半に体験しました(こらこら年がばれる) ものすごい勢いで世の中が変わったのです。 入学当初の町並みはまだまだバラックが残る大阪で、 大阪駅前はバラックでした。 ところが卒業する頃には大阪駅ビルも建ち、 どんどん整理される。 すんでいた衛星都市でも、おしゃれな鉄筋の建物が建ち、 小学校もすべて木造二階建てだったのが、 鉄筋四階建てに変わってしまったのです。 けれど、世の中はどんどんのぼり竜のごとく、 発展していく?いやオイルショックで少し落ち着いたものの、 やっぱりイケイケどんどんでした。 バブルも終わりバブルも崩壊し、 とうとう天井がついた数年前。 そしてここにきて、突貫工事の促成栽培の日本の社会の基礎が ガラガラと崩れてきたのではないかと思っています。 その中で人間の関係も、 むかしはまず新しい集団に入るときは、 私はこの集団ではどんな役回りか、 おそるおそる、入っていったものでした。 だから、新しい集団(幼稚園や子育てサークル)でも、 最初から自分出す人は少なかった。 ところが、今はどんな集団でも、いきなりここに入ればお友達。 そうではない人は関係ない人。の様な、曖昧ゾーンの探りを入れる関係がなかなか成り立ちにくくなっている気がします。 あまりにも急激に世の中が変わって、 その変わっている最中に生まれてきた人たちが、 今子育てをしている親世代の主流になり、 一年違えば全然違う感覚を持ち合わせているかもしれないのに、 その集団に入ったらみんな同じ。 そうじゃなければ関係ない。という 曖昧ゾーンのない親達の関係。 これは大変だと思うのです。 集団にはいれば中心の人の感覚にあわさなければならない。 そして、その外にいる人は関係ない。 自分と違う感覚を持っている人は関係ない。 いやぁ~今日の中学の緊急懇談会でも、 この数年で子どもの世界=親が急激に変わってきていると 今までになく厳しいお言葉を先生方にいただきました。 残念ながら、先生方も急激に変わってきているとは思いますが。 お話をくださったむかしからいる私くらい以上の先生は、 子ども達とよく関わってくださっている感じを受けます。 若い先生方に関しては、残念ながら二分していると思うのです。 危機感を持ってくださっている先生方には本当に感謝をします。 そして、よく関わってくださっている先生方と同じように、 子ども達との関係、親としてどうあるべきか本当に再考しなければいけない。 この世の中がガラガラと変わっている感じを 受けている大人は年齢問わずきちんとご自分をもたれれいると思うのです。 今、何も感じていない人たちにどのように訴えていけばよいのか? 私も一人の親として、大人として、日本人として、人間として悩むところです。 長くなりました。 学生時代家庭教師を初めてからカウントすると、 もう20年以上教育/子どもというものに関わり、 本気でここままではだめだと思ったので、 書いてみました。 今年はこんなことをまじめに本気でまとめていきたい。 そんなことを思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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