|
カテゴリ:僕が伝えたいこと
心配とは?
人を心配するということは、 人が小鳥を飼うのと似ているのかもしれない。 羽根があるのに、カゴの中でしか羽ばたけない鳥。 生きていくためには、小鳥はカゴの中で生きていくことを決めて、 飼い主はエサがなくならないように小鳥をカゴ側から見ていかなきゃならない。 カゴを選んだのは鳥。 カゴから抜け出したいのも鳥。 カゴを心配そうに見てるのも自分達。 カゴから抜け出さないようにしているのも自分達。 カゴの中にいて、カゴの外に出たくて、 でも自分の現状を見てもらうことも、 ”生きる”だったり”知る”ことなんだったら、 心配すら重荷になるかもしれない。 僕は今までも散々言ってたけれど、 ”心配する”ということは 自身の身を削ることじゃない。 心を配ると書いて心配。 だから本当なら配りたい放題なんだ。 「心配してもらわなくったっていい」という人もいるけれど、 意味を違う方で受けていて、相手は ”自分が重荷になって身を削られるぐらいなら、想われなくたっていい” と思う人もいるということ。 今、 あっちゃん(Cocco)の心が知りたい。 間違いないことは「どこかで無理してる」ということだ。 同じように無理している人もいる。 あっちゃんも然り。 写真一枚から知る衝撃は計り知れなかった。 本は今日買う予定だけど、去年からの拒食症がまだ続いていたこと。 今までのリスカもアムカも何も言わなくても判る。 僕はいつの間にか、カゴの中の小鳥を離さない様に飼っていてしまっているのか? と、 へこみそうになる。 ファンの気持ちからすれば、ずっとカゴの扉は開けたままだ。 いつ休んでもいい。 いつ戻ってきてもいい。 元気ならそれでいい。 でもどこかで、 その小鳥の声が聴きたいと。 あなたの笑顔が見たいと。 そう欲望をを持ってしまう僕は、矛盾の螺旋から抜け出せない。 人を心配すること。 人を想いやること。 強く儚い者の、ハリボテの心を僕は知るために見るしかない。 小鳥が叫ぶことを、それが重荷の原因になっているのかもしれないと思いながら。 papyrus (パピルス) 2009年 10月号 [雑誌] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[僕が伝えたいこと] カテゴリの最新記事
|