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2011.10.16
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カテゴリ:つながるいのち。
仙台2日目。
外を見ると、道路が濡れている。
雨かな?と歩く人を見れば、傘をさしていない。
最高気温25℃の予報だから、
やはり雨よりお日さまの予感。

午前中は昨日参加したシンポジウム、
午後は別のフォーラムに参加後、ヒアリングという
びっしり詰まったスケジュール。
お昼の移動が鍵。

昨日訪れた沿岸部の帰り道、
東六郷小の前を通った。
そこには町会が設立した幼稚園が併設されていた。

今日のトップバッターは、
その幼稚園教諭の体験報告から。

地震被害に対しては、かなり経験値を積んでいるものの
過去に幾たびも大津波に襲われた三陸に対し、
津波への危機感が薄い仙台。
震災直前に、市内に配布された津波警戒地図でも、
津波の及ぶ範囲は県道塩釜亘理線辺りまでと予想されていた。

ところが、このたびの震災では、
仙台東部道路を越える内陸部にまで達した。

小学校併設の幼稚園では、
余震が起きた9日に卒園式が行われていた。
11日は事務作業をしていたところに大きな揺れに襲われ、
幼稚園教諭のTさんは、
まだ児童が下校していなかった小学校のフォローに回る。

校庭に子どもたちを並ばせていると、
近隣の人々が次々と車で避難にやって来る。
駐車場に入りきれない人たちは、さらに内陸の六郷小へと向かった。

「みんな六郷小まで行けばよかったねって
 後で思うのですが」

非常に寒い日で、子どもたちは建物に移動。
Tさんは荷物を取りに家に戻る女性から子どもを預かる。
そこに津波が押し寄せる。

慌てて校舎の2階を目指そうと走り出す。
校舎の海側玄関へ既に津波の先端が到達していた。

1階のホールに逃げ込み、大きなストーブの上に
預かった子どもを乗せる。
結局自分自身は胸まで浸かってしまう。
ともかく冷たくて、感覚が麻痺していくのを感じながら、
じっと耐えていたら、いつの間にか海水が引いていた。

足元は泥で埋まり、さまざまなものが流れ込んでいる。
子どもを背負い、一歩一歩確認しながら進み、
「普段なら1分で行けるところを3分以上かけて」
なんとか2階へ上がると、
既に人々は、地域ごとに部屋分けを済ませて
ひっそりと固まっていた。

災害用物資の倉庫が流されてしまったが、
消防団の人に探し出してもらい、
泥に埋まった物資を開ける。

しっかりと梱包されていたので、物資そのものはきれいだった。

3日分の備蓄だったはずが、
避難して来た人々の数が多過ぎて、
飲料水も食料も充分には行き渡らない。

「これしかありませんから、保たせるようにして」
と呼びかける。

雪が降り始めていた。

翌日、自衛隊がトラックで救援にやって来た。
まずは弱っている人、けがをしている人、高齢者を
連れ出してもらう。

次は、子どもたち。
引率のためTさんもトラックに乗り込む。

途中、亡くなった方の姿を見つけた自衛官が
「お子さんたちの目をそらせてください」と声をかける。
子どもたちに「あれ、なにかな?」と声をかけ、
気をそらせること数回。

東部道路、南部道路をくぐり抜けると、
いきなり日常の世界が目の前に広がった。

驚いて後を振り向くと、そこはさっきまでいた真っ黒な世界。

そのまま六郷小に向かったあと、
Tさんは一旦帰宅。
わが子の無事を確認、着替えた後に再び六郷小へ戻る。

小学校は1カ月後に再開したが、
幼稚園は公立ではなかったために、
なかなか再開できなかったが、
そこは町会立という経緯故、地元の人々の働きかけにより、
なんとか市を説得することに成功。

ただし、一時は児童館に間借り状態だった。

現在は六郷中学に、東六郷小と一緒に同居させてもらっている。
幼小中が1カ所にあるメリットをたくさん感じている。

「震災という悲しい出来事ではあったけれど、
 幼小中連携のメリットを思うと、
 悪いことばかりではない、むしろよかったなあと思ってしまう」

何が起ころうとも、いつも通りに笑顔で明るく振る舞っていたい
とTさんは決めているし、そうしてきた。
それが子どもたちに接するべき態度だと思うからだ。
何より自分自身が暗くなるのが嫌なのだ。

子どもたちが笑いかけてくれることが
何よりの労い。
そう思いながら7カ月が過ぎた。

既にあちこちで指摘されていることだが、
子どもたちが目の前で多くの人々が流されて
命を失って行く場に立ち会ったこと、
それが、どれほど子どもたちのこころに影を落としているか。

一緒に被災し、共に暮らし、その場で支えあい続けて来たこと。
これからも変わらず、そうした日常が続いて行くことが、
現地で支援活動を続ける、現地団体や援助職の人々の強みでもある。

遠隔地につてのある団体や人々が遠隔地に援助を求める。

遠隔地では、現地からの声に応え手を差し延べる。
必要な援助を的確につかみ、継続して行くこと。
遠隔地からの支援は、あくまでも継続的な後方支援。

「仮設住宅や借り上げ住宅への入居が始まり、
 いよいよ息の長い支援へと転換して行く時期に入った」

これは昨日のシンポジウムで訊いた言葉。

支援の方法も変えて行かなくてはいけない。
物資を送るのではなく、
現地の求めに応じた支援の方法を考える。

午後、お会いしたKさんは、
県域で子ども・子育て支援を行っている。
全国規模での自主上映会を開催と、
そこでの募金による資金集めを行ってくれる団体を
広く募りたいとおっしゃっていた。

さらには、被災して廃業した幼稚園・保育園に勤めていた
保育士たちが新たに立ち上げた施設への支援。

結局お金ということになるのだけれど、
具体的な使途が明らかになっているので、
支援の気持ちのある人にとっては
援助先が選べる状況へと変わって行くと言えるかもしれない。

出来るところから動く。
持てるところから動く。

そこのところは変わらないだろう。

自治体の復興計画も策定中という現在、
鉄道の復旧だって、この先何年かかるのか
今はまだわからない。
放射線物質による汚染も、解消に向かうには
相当の年月がかかる。

そもそも阪神・淡路だって、中越だって
完全復興と言えるかどうか。

もう7カ月、ではなく、まだ7カ月、なのだよ。

常に頭のどこかで
意識し続けて行きたい。





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Last updated  2011.10.17 23:47:31
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