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2011年01月07日
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カテゴリ:アメリカ生活
12月26日(日)

今日は、アラバマ州モンゴメリーにある公民権運動関連の博物館や史跡を4つと、そこから車で
1時間半のバーミンガムに移動し、同じく博物館等3つを回る。

モンゴメリー
・Rosa Parks Library and Museum
・Civil Rights Museum
・Dexter Avenue King Memorial Baptist Church(Martin Luther King Jr.が牧師をしていた教会)
・Martin Luther King Jr. Home

バーミンガム
・16th Street Baptist Church
・Kelly Ingram Park
・Civil Rights institution


さて…、と今日一日の重い内容をきちんと見る覚悟を決め、宿を出る。

一つ目は、その後大きく全米に広がっていた公民権運動の波の発端となった、バス・ボイコット事件のローザ・パークスという黒人女性の博物館「Rosa Parks Library and Museum」。
トロイ大学の一角がそうだ。
彼女は、仕事帰りに乗ったバスで、白人に席を譲らなかったことから逮捕された。
人種分離法が施行され、日常生活のあらゆるところで、黒人は隔離、差別されていた。
バスの席、レストラン、お手洗い等、全てが白人と黒人と分けられていた。
当時のアラバマ州知事ジョージ・ウォレスの掲げたスローガンが、
「今日も人種隔離。明日も人種隔離。 人種隔離フォーエバ~!」。
…言葉が出ない。

「今日もビーサン♪ 明日もビーサン♪…」と歌いながら、ビーサンを飛ばしていた私たちとの
この違い。(↑知る人ぞ知る「まるげのビーサン」という歌)
彼らは、今日も隔離、明日も隔離だったのだ。


そんな状況下、彼女が逮捕されたことをきっかけに、モンゴメリーの黒人指導者達が立ち上がり、当時75%以上を占めていた黒人のバス利用者に、バスに乗らないよう呼びかけた。
この運動の代表に推されたのが、今日3つ目に行く予定にしている教会に赴任したばかりの
キング牧師=マーティン・ルーサー・キング・ジュニアだった。
黒人たちは、皆で車にぎゅうぎゅう詰めになって乗り合わせたり、歩いたりしてこれに応え、
バスを運営するモンゴメリー市は、経済的に大きな打撃を受ける。

ローザ・パークスは、条例違反の判決を受け罰金刑を受けるが、バス車内の人種分離の条例自体が違憲であるとして控訴。
1956年、最高裁の違憲判決を以て、一年続いたバス・ボイコットは収束する。
そして、公共交通機関における人種差別は禁止されることとなり、ローザ・パークスは
「公民権運動の母」と呼ばれるようになった。

というのが粗筋だが、バスの中の黒人席がなくなっても人種差別がなくなったわけではなく、
この後も差別は続く。
だが、この勝利がアメリカ中の黒人たちを刺激し、大きな公民権運動のうねりとなって全米に
広がっていく。
そしてキング牧師は、これを契機に全米各地での運動を指導するようになる。

もちろん、それまでも黒人とその支持者たちは、すでに長年にわたる闘いを続けていたが、アメリカでは、ここから始まるキング牧師ら主導の活動を公民権運動と呼ぶことが多い。

またこの公民権運動は、キング牧師らの非暴力抵抗運動と、黒人弁護士チャールズ・ハミルトン・ヒューストンやサーグッド・マーシャルをはじめとする弁護士たちの尽力という、2本の柱により成果を上げていき、1964年の公民権法成立につながっていく。
サーグッド・マーシャルは、1967 年リンドン・B・ジョンソン大統領の指名により、最高裁判所判事となった。


さて、この博物館には、当時の古いバスが置いてあり、バスの窓がスクリーンとなって乗客の姿を映し、ローザ・パークスがバスに乗ってから逮捕されるまでのストーリを バスの周りに集まった野次馬の視点で見れるようになっている、らしい。
白人乗客の不平、運転手の言動、周りの乗客の反応までリアルに見れる…らしい。

えぇ、「らしい」のです。
だって私たち、入れなかったんですもの。
それはなぜか。
それは、この日が12月26日(日)だから。
クリスマスだからか、日曜日だからか、そんなことこの際どうだっていい。

なんでその日に開いてるかどうかをチェックしなかったのか。
クリスマス時期は、閉まっているところが多いから、チェックは絶対だと分かっていたはず。
しかも日曜。
公民権運動に関してのスポットは、オットが計画を立てた。
私は、下調べの段階で、あまりの内容の重さに疲れ果ててしまっていた。
調べれば調べるほど気分は沈み、行くのが嫌になるのだ。
色々な博物館や史跡のリストアップまではしたものの、どれをどの日に、どの順番で見るかは、オットに任せたのだった。
その結果、どこも閉まっているクリスマスの25日だけ、ビーチで遊ぼう!となったのだが?

…え゛ぇ~っ?! あり得へ~ん!と心の中で絶叫しながらも、旅程を立てることに不慣れなオットに任せた私も、そこだけはチェックすべきだったと反省。
でもこれって、もしかして…。
そのあと回る予定のほとんどは、休館じゃないの~?!
「ちょっと~?!」の一言に全ての不満を込め、オットを見ると「ごめんなしゃぃ…」
と小さくなっていた。
ここで怒っても仕方ない。
これもネタ、と気分を切り替え、せっかく来たんだから写真だけでも!と写真撮影。

               bus boycott
P1030228.JPG  P1030230.JPG
↑建物の入り口につながる通りは、「Pathway of Honor」と呼ばれ、敷き詰められたブロックは、ここをサポートするために1つ100ドルで売られており、買った人は、自分の名前を入れられる。

↓壁にはローザ・パークスやボイコット運動をする黒人たち
P1030234.JPG  P1030235.JPG 

めちゃくちゃ寒い真冬日。
中に入れず、体は冷え切っていた。
さぁ、次に行こう。
といっても、そこも休館間違いなしだが。


今日の2つ目、「The Civil Rights Memorial」(このホームページには、全米にあるいまだに活動
しているKKKを始めとする過激派グループのリストや写真も掲載されており、見るだけで恐ろしい)

途切れることなく水が流れるこの水盤には、1954年の Brown v. Board decision/ブラウン対教育委員会(*)から1968年のキング牧師暗殺までの公民権運動の功績と、その間犠牲となった人々の名前が刻まれている。
そして背後の壁面には、キング牧師が用いた有名な言葉が彫られている。
"Until justice rolls down like waters
And righteousness like a mighty stream"
「公儀を水のように、正義をいつも水の流れる川のように流れさせよ」(アモス書第五章24節)

慰霊碑の側に無料のパンフレットが置かれており、公民権運動と犠牲者たちの写真入りの略史に
なっている。
そしてこの慰霊碑の横には、Civil Rights Memorial Centerがあり、教育活動用のシアターや
教室などがある。

P1030241.JPGP1030242.JPG

*Brown v. Board decision/ブラウン対教育委員会
1954年、それまで「Separate but equal」(分離するけど平等)という、矛盾大有りの制度的人種差別が行われていたアメリカの教育システムに、白人と黒人を隔離すること自体が違憲であるとの
判決が下った歴史的判決。
カンザス州のトピカという町で、子供を家の近くの学校に通わせたいと思った数家族が、そこが
白人専用の学校だったため入学を断られ提訴。
同様の訴訟が各地で起こり、最高裁審理の際に一つにまとめられ、Oliver Brown牧師が原告団
団長だったため、この裁判は、彼の姓Brownで呼ばれることになり、Brown vs Board(ブラウン 対
教育委員会) decision(判決)と呼ばれている。
バス・ボイコットでもそうだったが、これで学校での差別がなくなったわけではない。
彼らの長い道のりは、まだまだ続く。


今日の3つ目「Dexter Avenue King Memorial Baptist Church」。
州庁舎と目と鼻の先にあるこの教会は、Martin Luther King Jr.が牧師として赴任してきた教会で、
モンゴメリーで2つ目に古い黒人バプテスト教会。
ここで彼は、1954年~1960年の間牧師を務め、バス・ボイコットを組織し、公民権運動の中心に
なっていく。
P1030247.JPG P1030255.JPG

この教会には、中を見学させてくれるツアーがあるのだが、時間や曜日が決められており、
私たちが行った日は、もちろんチェックしていなかったため(誰かさんが)やっていなかった。
でも教会は、大体どこでも礼拝をしている時間でなければ中に入ることが出来るので、少しでも
中を見れたらいいな~と淡い希望を持って行ってみた。
写真を撮ったり、外の案内などを見ていると、礼拝があるのかどんどん黒人の信者が集まって
来た。
あ~こりゃ信者じゃないし、礼拝があるなら入らない方がいいな~と思っていると、来る人来る人
「中に一緒に入りましょ!」と声をかけてくれる。
信者じゃないの、と言っても、構わないから!と言ってくれ、オットもトイレに行きたいと言いだし
中に入ることに。
そしてなんと、一緒に礼拝を受けた。

その礼拝がなんとも素敵な(と言ったら不謹慎かもしれないが)もので、本当にここに来れたことを
幸せに思った。
讃美歌は、映画で見る様なゴスペルで、ピアノ・ベース・ドラムの生演奏で歌われ、みんなプロ?と思うほど上手く、全員がホイットニー・ヒューストン状態。

牧師ももちろん歌うのだが、それがまたやたらと上手い。
生演奏をバックに歌うようにしゃべったり。
ちょうど、歌の間奏で歌手がセリフを言うような、そして気付いたらそのまま歌に入ってる、
というような。
ラップ?!と思ってしまうような。
声は低くしわがれていて、ルイ・アームストロング。
礼拝では、ピアノやパイプオルガンだけの演奏しか聞いたことがなかったが、ベースにドラムが加わり、全くの別世界だった。
ルイ・アームストロング(牧師さん)の話も良かった。
「待つ」ということについて話された。
人は「待つ」ことをしなくなった、と。
数分間そのことについて色々話され、最後は、「インスタントコーヒーをいれるのをやめ、たまには
美味しいコーヒーが落ちるのを待つ、その「待つ」時間を楽しんでみてはどうか。」とくくった。

P1030258.JPG P1030257.JPG





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Last updated  2011年12月02日 04時04分35秒
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