カテゴリ:つれづれに、きままに
わたし達がティーンエイジのころは(十代と言わないところがすでに)アメリカ文化一辺倒だった。 秋山書房の十代向け小説には高校生のダンスパーティーや、卒業パーティにはステディな相手を選ぶとか、もう、わくわくして読んだ。でも実際わたしの高校では運動会の後にフォークダンスがあるだけだった。 似ても似つかぬ、幼稚なもので、でも、それでもみな興奮していたけど。あの運動場の埃っぽさと一緒にいま思い出すと、ほほえましく懐かしい。 短大時代には本格的に習ってた人もいたけれども、学生ダンスパーティには縁がなかった。だからほんとのダンスパーティに行ったのはもう社会人になってから。 ちょこちょこっと友人に教えてもらっただけだから、自信がないし、尻ごんでいたけれども、やっぱり興味はあるしで、次々と誘われて(ちょっと自慢ぽい 笑)いるうちに、あるひとと流れるように踊っていたのだった。 「えー、わたしこんなにうまかったのかなー」と気持ちよく、何の曲だったか、もう忘れたけれども、リズムに乗って天上に舞う如く(笑)放心していたよう。 はっとしたときには身体がぴったり張り付いていた。びっくりした。曲が終わって「もう一度」というのを逃げた。だって好きでもなんでもないひとなのに、近づきすぎる。 壁の花に戻ると「ばあチャルさん、お上手ね」といわれた。皮肉!と、気が付いたのはもっとずっと後。 あの天上に舞うような高ぶりがなんであったか、知らなかった21歳のおくて。 後に思う、好きでもない人でも息がぴたりと合えばエクスタシーに到達するのだなーと。
そのひととは後日談がある。 ふたたびそのひととボートでふたりきりになったことがあった。たぶん私のことを憎からずと思っていたのだろうが、わたしはめざめてはいなかった、で知らん顔していたからな~、そのひとはなにもせず、何も言い出せず岸についてしまった。 そのころは頭で恋をしていたのだと思う。
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