続けて読んだ林芙美子『放浪記』とリリー・フランキー『東京タワー』
書かれたのは1930年と2005年、時代は半世紀以上はなれているけれどもなんと似ていることだろう!醸すもの雰囲気のことであって個性はちがうのだけども。
- 作者の生い立ち、経験を文学に昇華している
- 日記風
- 尋常な家庭、両親ではない
- そんななかで親思いの強さがすごい
- 芙美子は行商をして育ててくれた養父と実母に
- 雅也(リリー・フランキーのこと)は母と母と離婚はしていないが別居している父に
- 貧困なる家庭、しかしどん底ならざる文化がただよう
- 芙美子は女学校(昔はそんな家庭の子は行けなかったのに)
- 雅也は武蔵野美術大学(母の献身的な働きのおかげで)
- 実質ひとりっこ、甘えん坊のどうしょうもないわがまま
- いったんは親を棄てたような本人達のハチャメチャな人生
- しかし、ことあるごとに篤い熱い母親への思いをあふれさす、行動する
- 本人の行状を記しているようで、その底には母という1人の女性が浮かび上がる
- 芙美子の母の奔放的な男遍歴とみえるも正直な情熱
- 雅也の母の激しくも秘めた女性の生き方
- つまり現代の女性にとって好もしく見える姿のよう
- 両方ともおいしいものがいっぱい、いいものがいっぱいでてくる
- 引越し、移動がはなはだしい、多い(放浪癖)
- 地方と東京(芙美子は尾道、雅也は小倉、筑豊)
- あげくに東京の魔力にはまっているよう
- 東京がやたら詳しい、もの(笑)
- アンバランスな裏打ちのない文化(今の日本人がそうなのじゃないか)
- わたしとしては両方とも好きだなー
ひさしぶりの読後感想。なかなか読み応えのある本にぶつからなくてじれていたところ、放浪記は第1部しか読んでいないことに気づき改めて完全版を読む。出掛けに際して本を忘れたのでたまたま買った本が『東京タワー』。
東京の屋上から日に日に高くなるスカイツリーを眺める。同時に遠く霞んでいる東京タワーが目に入りなんだかわびしくなっていた。この旧い東京タワーが出来る年わたしは東京に引っ越してきたんだよ。それからあちこち...。とわたしの『東京タワー』(笑)
やっと東京のインターネット環境が整って、それにおくればせながら光通信となりにけり!