11日14時40分ころ
当地震度4ですから東北太平洋岸の方々の経験より軽いはずですが
ガタガタ、ゆさゆさ
揺れている時の恐怖はたまりませんでした
早く終わってくれ~~!!!!
とダイニングのテーブルの下でテーブルの脚をかかえて祈り
3分ぐらい続いたように思いましたよ
この家の建っている所の地盤が緩いのも原因
不思議に薄型テレビは倒れないでしたが
余震の大きめので花瓶が落ち割れ、ガラス瓶の醤油がこぼれました
さいわい電気ガス水道は止まりませんでしたが
娘や妹の住んでいる地域(横浜鎌倉湘南)は夜中まで停電
寒かった~という、オール電化の良し悪し
夫が帰宅困難者になり一晩帰れないし
携帯は繋がらない、メールが途切れがちに行き交う中
心配でテレビの報道くぎ付けになり
現実と思えない津波のすごさに
まんじりともしなかった一夜が明け
12日のお昼にやっと帰れた夫と
食べて休んでやっと元気になったけれども
福島原発事故の深刻さと
東北太平洋岸地方の被害のすごさに
暗澹たる思いの今です
夫は電車の中に居て、もよりの駅で降ろされ
駅近くのマンションのロビーで休ませてもらえたそう
そこの住民がボランテアで
12日朝、暖かいお味噌汁とおにぎりを出してくださったのが
とてもとてもありがたかったといいます
被災地でもそのようなお互い様の
助け合いがたくさんあると嬉しい~
しかし、今目に見える被害が落ち着いた時の
日本の状態は考えるだに
恐ろしく大変なことになると思うと
わたしたちがしっかりしなければは当然だけれども
日本の国を引っ張っていくリーダーの
資質、素質がすごく、すごく心配になってくる
被災されたみなさまがひとりでも多く助かるためには
わたしたちに今できる
そのひとつのことは節電ですが
皮肉なことにすべてを電気に頼っているような生活
大変難しい深刻なことです