カテゴリ:読書メモ
内田百けん『贋作我輩は猫である』はおもしろい。 夏目漱石の『我輩は猫である』は語り手の名無し猫がビール飲んで酔っ払い、甕に落ちて死に一巻の終わりになるのだが、贋作は40年後昭和の時代(どうやら戦後)にワープ、生き返ってまたある家に寄宿し見聞を広げるというもの。 本家より小難しくないのでありがたいし、思わず笑ってしまうところがたくさんある。 猫の寄宿先でドイツ語の先生(本家も先生だった)と教え子の会話がふるっているのだ。 たとえば先生が教え子の一人に言う 「きみは生まれが上流階級のお金持ちであって、今は零落しお金に困ってるお金が無いと言ったりすると、それは『なり金』の反対『なり貧』というのであって、本当の貧乏ではない」と。 うーむ、わたしも最近そのような経験が... わたしは2軒の家(東京と温泉地)を行ったり来たりして暮らしている。まあ別荘を持っていると言ってもいいのだが、ごく普通の定年後年金暮らしだからお金持ちではない。 のに 「2軒は大変でしょう」とか「一軒は貸したら?」「売った方がいいよ」 とご親切に言ってくださる方が多い。特に男性。 なんだかなー、余計なお世話だなー、と思う。 ちょっとした市民が 都会と郊外に家を持って畑だの自然だのの生活を楽しんでいるというような、フランスなどヨーロッパの小説を読むと描写がある。 だからつつましいわたしたちでも、これがわたしたちの文化なんだと思っているのに。 身についていないからだろうか、と勘ぐりおもしろくない。 しかし、この『贋作...』のつづきは先生が教え子に「だからおごれ」っていう話だが(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[読書メモ] カテゴリの最新記事
|
|