「時の円環構造」
『手紙、栞を添えて』の中で水村美苗さんが辻邦生さんとの書簡形式の文学論で述べていることばである。
人間は「死ぬ」ことを知っているが、いつもたゆまず意識しているわけではない。ずっと先のことのように思う。けれども文学ではその主人公の最後に来る「死」 からさかのぼって小説が描けるのである。
それは歴史上の人物を取り上げる小説もその仲間である。
司馬遼太郎『夏草の賦』もそうだ。
「夏草や兵どもが夢の跡」からとったのであろうか、戦国乱世時代に一豪族の武将が夏草の生い茂る勢いで四国全土を掌握してしまった。
土佐の「長曾我部元親」というお人の風雲の如き活躍は、結局秀吉のために一族あとかたもなく消えてて無くなってしまったことよ、悲しい、空しいのか?という小説だが
ひとりの人の死というより時代のなかで消えていった人間、その人の生きかたを司馬流に味付けして活き活きとよみがえらせてくれるのは文学の醍醐味。そのことを言いたい。
司馬遼太郎さんの作品は『明治という国家』や『空海の風景』が好きだけれども、この『夏草...』を読んで、うむうむおもしろい見直したというと恥ずかしいかもしれない。
時は過ぎ行く。