高齢社会
自分たちもそうであり、なお高齢家族に囲まれて
考えなければならない一つは経済のこと
姑の経済的側面がどうだったか書いてみよう
支える子供たちも高齢化してきていろいろ悩ましいのである
105歳の姑は32歳(1941年)の時に夫と死別
中耳炎から脳炎になったという、今なら助かる病気
ちなみに1941年はわたしの誕生年
つまり、72年間未亡人(明治生まれだからそう言う)で
3人の子を戦中戦後の混乱期に育てたということ
わたしたちが結婚した時に姑は55歳
会社に勤めていたのだったがちょうど定年
というか臨時雇い(今のパートタイマー)なので
会社は辞めなければならなかった
それから5年はいろいろの仕事をしていた
けれど60歳になって隠居したいと言いだした
(今ならちょっと早いかな)
姑はある県の名家出身で(つまり土地持ち)
実家から土地だけ貸してもらえ
(未亡人になって窮迫しているのに遺産放棄していたのよね)
そこに子供兄弟で小さな家を建ててあげた
それも若いわたしたちには物入りだったが
それからずっと兄弟で姑への仕送りが続いた
年金も救済措置の時代の人で最低額しかもらえない
70歳ころまでは姑も内職で補っていたのだが
ところがしばらくして
長男、事業失敗、夜逃げ同然生活
次男の夫にどっとのしかかってきた
長女(義姉)も協力してくれ、なんとかかんとか乗り切った
85歳になって姑は一人暮らしが不安になり
隠居所もたたんで(それでもそこで25年間過ごした)
姑の意思で軽費老人ホームに入所
いまなら普通だがそのころは先取な考えだったので
わたしたちは姑の理性に感心してしまったと同時に
正直ほっとしたものだ
ま、軽費といっても費用はかかるので
仕送りは続けるのだか、、、
そのうちに長男もなんとか立ち直り
きょうだい皆でそれぞれ出来る範囲で負担
つまりうちも少し楽になって、それから早20年
だけれども、姑長生きし過ぎ(笑
7、8年前大たい骨骨折で寝たきりになりもうダメかと思っても
心臓に水が溜まっても入院しても
肺炎になっても、どうにか治って退院してしまうのよね
併設されていた特別養護老人ホームにいるのだけれども
待っている人がたくさんいるのではないか、と気にはなるし(笑
それに
80歳長男はデイケアに通う身になり、アルバイトももうない
83歳長女は高齢者用住宅に入所してしまった
もちろん、うちも含めて皆年金生活
ふたりとも負担だろうな、と思えど
我が家だけでというわけにもいかない
仕送り費用の問題だけではない
見舞いに行くにもそれぞれ遠隔地・老齢
大変な労力、交通費もかかるになってきたのである
これからどーなることやら
こうしてながなが書き出してみて
わたしの本音が出ているなとわかる(笑
次男である夫ばかりが
なぜ、こうも責任を負わなければならないのか
特に義兄はずるいよ~~~とも思う
それは夫も言っているが
義兄の性格的お気楽さが原因
先に歳とって、ボケたもの勝ちというところかな(笑
夫が姑のために一族の古い墓石を新しくたのは
もう10年前になる
準備整っているのにね、頑張る姑
いえいえ、頑張ってね「おかあさま」
「あなたはこどもたちを立派に育てましたよ」
というのも本音