親戚にフリーターでギャンブル依存症の青年がいる
中学生のころから引きこもりがちになり、家族をてこずらせ
なんとか高校入学はしたけれども、少しの期間で退学してしまい
はたちを過ぎたので、車の免許をとって働けば何とかなるかもしれない
との家族の淡い望みも、自動車教習所を途中でやめてしまい
とうとう家を追い出され、しばらくは祖父母に世話になったが
高齢の祖父母もお手上げの状態、そこにも居られず
一時行方不明に
少し働いては給料をギャンブルにつぎ込んでしまい
お定まりの消費者ローンのこげつき
何度も尻拭いしていた両親も愛想が尽きたらしい
彼が小学5年生の時に両親は離婚
彼の姉は母親について行き、彼は父親と残った
当時、母親が彼の引き取りを拒否したらしい
多感な一番大事な時に彼は傷ついただろうと思う
それが彼のトラウマなのだろう
そんな風に荒れてしまった彼をますます母親は引き取ろうとしなかった
経済の問題ではない、父親は十分援助するから
母親のそばにいさせてやってくれと頼んだのだが
どうしても嫌とのことであった
離婚は他人同士の間のことで仕方がない
けれども親子は理屈なしの愛情があるはずではないか
と普通は思う、何があったのか?本当のところはわからない
しかし
わたしはすこ事情がわかる
わたしの母親が自分の子供3人をはっきり差別したから
その温度差は成長するにつけ激しくなったのだが...
性格などでお互い相性はあるだろうし
甘えられる子、美しい子、かわいい子に傾く親
それはしょうがないかもしれない
でも
母はわたしたちが少なくとも15歳を過ぎるまで
隠しとおしていたのだ(いまそれを思うと母はえらい)
わたしが一番みそっかすだったのだが
その年齢まで気が付かなかったのだから
大人になってからの親の温度差は
魂までは傷つかない
さて
わたしの親子関係はどうか?
息子と娘
平等に愛情を注ぎたいがため
そうありたいと願うあまり、そのことがトラウマになり
かえって異常な面があったかもしれないと今は思う
人間
同じように愛情や気持ちを表すのは無理だと
人生も終わり近くなってやっと気が付いた
平等は幻想だ