本家ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は高校生の頃に読んで
大人というか、大台超えた60代の2005年になってから読み直したのと
追ってすぐ亀山新訳の話題に引かれ2008年にまた読んだのと
都合3回読んでいる
高校生の頃はわかったのか?わからないままでも
登場人物たちの饒舌な会話が気にいったものだった
若いときの読書なんて感性で読むものかもしれない
2回目の読書術もこなれすぎたあたりの感想は
ストーリーの物語性(エンターティンメント性)に感心してしまって
ドストエフスキーの言わんとするところなどはスルーしている
そして亀山新訳を読むに至って
またわかったようなわからないような気分になった
なぜなら
亀山氏が訳書の終わりにお書きになったり
新書版「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」などで
続編がある、あるとキャンペーンを張るので
やっと小説のはじめにかかげてある「著者より」の文章に気が付いて
読めば、そういわれればそう、と...
でも
その空想を小説にしてしまうそら恐ろしい作家がいらっしゃるとは
というわけで高野文緒『カラマーゾフの妹』を読んだ
本家に劣らぬミステリーだからネタバレになると困るので
現代風の読み応えのある、文章も抑えた力量があるという感想のみ言う
だいたいこの本のタイトルがしゃれてい過ぎる
「父殺しの真犯人は本家大団円で解決済みではなかったのだ」という
カラマーゾフ兄弟に妹が居るならば...って思うじゃない?