島崎藤村『破戒』を再読
「蓮華寺では下宿を兼ねた。」
という簡潔な出だしが秀逸
「部落出身者」に対する世間の差別と
本人が出身を隠して世間に出て(教師をして)いることを
見つかる恐れと、正直に言うべき正義感とに
迷い悩みにゆきくれるという
明治時代の自然主義文学の先駆け作品
文章は簡潔にして歯切れがよいし、今読んでも解りやすい
近代国文学史で皆が習うが、読む人は少ないかもしれない
まえに読んだのは20代であったから
いろいろ世間を知った今は複雑な思いになる
連綿として差別はあるし、あるからこそ差別に怒りを覚えるのだが
この藤村の作品を
丑松という主人公個人の悩みを描いていると見るか
社会的問題提起を作者がしていると思うのか
どちらにウエートをおいているのか
解説では
作者は個人の悩み「隠しているつらさ」の憂鬱を表現したいのであって
差別問題提起しているのではないと言っている
むしろ藤村自身も差別意識があったのではないかと
しかし
読み手が差別といじめに義憤するならそれでいいと思う
丑松が父親の戒めを破ってついに
自分は「エタである」「不浄である」と告白して土下座する場面の
不愉快さがなんとも言えないやりきれなさのパンチが
読み手に生きてこないと思う
この21世紀
差別やいじめは亡霊のごとく現れたり消えたり
世間には、あいもかわらずあるのである