「三国一の何々」という「三国」とは(近隣国では)
「唐天竺(中国インド)」と日本の中で一番だということで
「韓」というものがふくまれていないのだった
と、司馬ワールドではいう
古来、朝鮮という半島は国家については地理的位置が近接しすぎており、
しかも人種までが類似し、このため厳密な外国意識をもたずに数千年経てきている。
から
含まれなかったのはあまりにも近縁で他国視できなかったのであろう。
と
今読んでいる司馬遼太郎『歳月』(江藤新平栄光と転落の生涯)にある文章で
これ、わたしは「ははーん」と思ったことだった
おもしろいものだ
いまではとても同じ人種と思えない気質なのにね
でも、むかしからお互いに尊敬しあってないのだからね
この小説の舞台時代
(西郷隆盛を中心に「征韓論」が起こった一件に関係して江藤新平は転落していく)
明治初期のまだまだ政府の屋台骨があやふやな時
近代化しようとしている日本が近隣国(ロシアや清国)を意識し
富国強兵に進もうと、どこの国でもあるように、外に目を向けた
そして冒頭の日本の側の意識!
反対に朝鮮半島では中国の属国のような庇護を受け、かさに着ていて
朝鮮半島は中国の姓名を使ってるのに、日本は独特の苗字を名乗り
儒教という中国の文化も影響少なく、八百万の神を敬う
倭の国(日本)を尊敬していなかった
とある
まあね、お互い、これじゃねえ
この本の上巻、一章「征韓の一件」はおもしろかった
ところで、最近、天竺(インド)とは仲良くしようとしているね