カテゴリ:読書メモ
治らないと病気とわかったり、あるいは老衰してしまったら、生かすだけのための延命措置はしてほしくありません。いわゆる「尊厳死」を選びたい意思です。しかし、言っていても書面で宣言しておりません。
そんなあいまいな気持でいると現在の医療制度では「尊厳死」は実行できず、超現代の医学的な「延命措置」で痛み苦しまないと死ねないというのが本書の趣旨です。 過剰な「延命措置」や「点滴」はおぼれて死ぬようなのだと著者は言っています。 「痛くない死に方」は「平穏死」枯れて死ぬのが一番いいらしいです。 「老病死」の「苦」を現実として受け止めているわたし、でもだからと言ってすぐは死にたくありません。だから「尊厳死を希望する文書(リビングウイル)」を書いてても、どこまでも助けてほしいと思う気持ちもあります。矛盾していますねえ。 姑の例があります。 代々医者であった家に生まれたのでいろいろ知識がありましたので「日本尊厳死協会」に入り毎年会費を納めていたのをわたしたちは知っておりました。 96歳で大腿骨骨折「寝たきりになります」と医者に言われ、本人も「もう死にたい」と言いました。 寝たきりになればこの本にあるように結局延命措置を受けるようになるのでしょうね。 そんな時はどうするのか? ちょうどまさにその時夫が眼のガンで入院、わたしは付き添っており忙しく、(本当は事情があって姑の主たる後見人だったけど)その場に居なかったのですが、義姉、義兄が話し合って、結局手術を受けました。 96歳でリハビリ・克服(そこが姑のすごいところ)車椅子を使いながら105歳で亡くなりましたが、わたしがその相談の場にいても、それが「尊厳死の宣言」に相当するのかわかりませんでしたと思います。 この本には遠くの親戚やその場にいない身内の「尊厳死」妨害もあるやに書いてあります。 結局日頃から言っていても書いておいても、本人と身内とのコミュニケーションがうまくいっていないと、いい結果は出ないのですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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