断捨離のようなモノやコトの整理が進んでみると、こころにゆとりや余裕が出てくるからおもしろい。
自分は誰かさんのように家にモノを溜めていず、ごちゃごちゃにしていないで整理整頓、物事や事務的にもキチンと処理していたのだ、というのはとんでもない思い込み、自信過剰であったということです。
何事も見直しをするということが大切なのだと。(って、自分のばかさ加減を披露しているのだろうが・・・)
具体的に言えば
この家のいらないものは処分し、ガランとスッキリした家の中、広々と暮らしてみると、昔の田舎の家みたいで心地いい。
嫌だった農作業(菜園ライフ 畑作り 笑)をやめて、残ったわずかな庭木の手入れと下草刈りをしていると、それは何の苦もなかったのだと思うのだから不思議。むしろ楽しいの。
ええっ!?
わたしはいったい何をしたかったのか?
どこで間違ったのだろう?
もともとここは別荘のつもりで作ったのであって、東京の小さなマンションが定住地であった。
ま、その時は事務所でもあったのだけど。
そこが、古くなって建物ごと建て替えになり、工事は2年はかかるので、みな様どこかに仮住まい。
うちは幸いここに移ればいいと、とりあえず住民票を移した。
数多くの銀行や契約している諸々の住所変更もしなければならなかった。
それがいまだにここ。戻すのが面倒だったのもある。
家財道具も2軒分ダブってその時はゴミ屋敷の様相だったけど、2年たって東京が完成した時にそれは解消した・・・はず。
でもね、結婚50云年、捨てられない当初からの使い勝手の悪い家具やら、大量の本やら、食器やら、ま、整理整頓、キチンと置いてはあったのだけど、何せ二人には使い切れない。
それに、夫はここのほうがゴルフに行くには都合がよい。夫思いの(自分で言うか)わたしも喜ぶことならと(笑)ずるずると。
年年歳歳、去年の出来事。いろいろ身体の不調はでる、運転はできなくなる、これは少々便利なところへ行かねば、わたしが困ることになる。
それで今回の決心。
予定に通りにいろいろ進んでくるにしたがって、もう一度方向を少し変えてもいいかなと、ゆとりが出てきたのもほんとうだ。
どうも、一度決めたことはきちんとしなければ気が済まない性格が、融通が利かないことになるときと、それだから物事が進むだというときもあるのじゃないか。
ミカンの花の芳香がただよい、五月晴れの元、茶摘みに精を出していらっしゃる姿を見ながら、贅沢な思い。
さあ、わたしも若芽が伸びすぎたボケの枝でも掃いましょ。