嫋々と立ちのぼる、ねっとり絡みつくような印象の文学をものする人々は
往々にして被差別部落や朝鮮半島人のルーツを持つ日本文学作家である
わたしの知っているのは
立原正秋、ほんとにたくさん読んだ
『残りの雪』などはもう一度読みたい
もう、30年位前であの頃は流行っていたのだ
被差別部落で育った作家である、
中上健次の『鳳仙花』
自身の生まれ、ルーツを題材にいくつか作品を残して46歳で早世
だからこの『鳳仙花』も自分の母親をモデルに、主人公フサを創造して「女の一生」物語
背景は紀州古座、海に囲まれ、自然豊かでおおらかな風習
母親が不倫、生まれた末っ子フサは異父兄姉に囲まれて成長した
「近所の誰よりも色が白く、目鼻立ちの整った器量よしだった」フサ
その別嬪のフサが母親と同じように男遍歴になってしまうその成り行きは
運命論というよりは連鎖といおうか
叙情的・官能的およそからっとしていない文脈
しかしながら引き込まれるように読み継ぐことができるのは
文章の中に本物の感情や行動があるからだろう
しかし
こういう抜けきれない、しがらみのようなことを文芸にする時代は終わったのか