カテゴリ:読書メモ
遠藤周作の『イエスの生涯』を読書中で、そんな関心があって図書館でこの本に目が留まり、何気なく借りた。
「『沈黙』の前奏曲ともいえる短編集」とあるけれど、遠藤周作さんの文学に対する姿勢がよくわかったし、『イエスの生涯』などという少々敬遠してしまうような内容の本にも理解の助けになる。 なぜ『イエスの生涯』を読んでいるかというと、古いことになるけれども、9.11のアメリカでのテロ事件の直後、イスラム教とは何か、それに関係するキリスト教文明を知りたいと思い、いささか読んだその関係書物の一つである遠藤周作氏の本であったけど、なかなか手を出せていなかったもので。 そういう前奏曲がないと、この短編集に描写される人間たちのふるまいは、どうしようもなくかなしいけれども、哀れにもなり、笑ってしまうかもしれない。 いや、一遍ごとにやり切れない思いも募り、いやな気分にもなる短編だ。 人間の存在とはこんなものだよ、うそつきで、おくびょうで、ずるいかぎり。 冷静に人間の浅ましさを見て、それを人間の日常に創作再現する。その罪の意識を暴く。 一見私小説のように創作されているが、遠藤周作さんの文学上、人生上の思想の変遷途中経過なのである。 キリスト教を理解するのは難しいけれども、一つの宗教を追求するその精神的な苦しみは理解できる。つまり、遠藤氏が幼いときに自覚もなく洗礼を受け、成長して後の悩む精神上の煩悶が文学として結晶している。 なお 40年以上前に『沈黙』は読んでいるのだが、すっかり忘れていて再読せねばと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年11月08日 09時11分58秒
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