「第三編 ゲルマントの方」と「第四編 ソドムとゴモラ」あらすじと一部文章のピックアップで構成されている。
いよいよ佳境に入ってきた。
「私」がパリに引越し、上流社会のサロンに出入りするようになり、見聞きすることが綴られる。ブルジョワではあるが言わば一般人の「私」が上流貴族の生態をシニカルにみているようで、あこがれも秘めているようなストーリーというか、芸術的な文章が続く。
特に同性愛を描く「第四編 ソドムとゴモラ」の冒頭のところは感心してしまった。20世紀文学に多大な影響があった巨匠なのだから当然、いまさらわたくしが言うのもなんだけども。
「私」はつれづれに中庭を観察する。そこには高価な鉢植え(蘭の花)が出されている。なぜ故にか、受粉に必要な昆虫(マルハナバチ)が飛んできて花の蜜に吸いよせられながら花粉を雌しべにつけてくれるだろうと。その中庭で蘭とマルハナバチならぬ、男と男が出会う思いがけない情景を見てしまう。
その描写がなまめかしくて印象に残る。
こうして昆虫を待ち受ける彼女は、雄の花に劣らず、ただ受け身で待っているのではないことを私は知っていた。雄の花の雄蕊は、昆虫がやすやすと花に接することができるよう、自然に向きを変えてしまうのだが、同様にここにある雌花も、もし昆虫がやって来たら、その「花柱」をなまめかしくたわませるだろう。そして相手をいっそううまく入りこませようと・・・以下略(P268~
とプルーストは比喩を用いながらも、なんとエロティックな描写していることか。
わたしは訳者鈴木道彦さんの『プルーストを読む』を併読しているのだが、それにも
この挿話は、卓抜な比喩と切実なエロチスムを含んでいて、一度読んだら忘れられない強烈な印象を残すはずである。(P158)
とあった。こういう読み方といい、抄訳版の3冊を読むといい、なんだか文学講座を受けているような気もしている。しかし、そうでもしないと取り組めないほどの複雑な文学だと思う。
この小節のみならず、全編にわたって物事を描き分けるのに例え話を取っているのだが、その適切であることは天才的。むしろそれが多すぎてなお、この小説を複雑にしているのかもしれない。それだけに読み込むといろいろそれからそれえへと考えさせられ、思わせられるところがあっておもしろい。なるほど、後の文学関係者が汲みつくせぬほどの影響を受けたのもうなづける。