「道ならぬ恋人たちのアンナとヴロンスキー」「行き違いの失恋になってしまったキチイとリョーヴィン」のカップルたちは、さてどういう展開になったでしょう。
時は19世紀ロシア帝国の末期、貴族階級が近代化に揺れているのであります。しかし19世紀も21世紀も関係なく、このようなテーマは永遠に続くのです。
上巻、この小説の有名な冒頭
「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」
のモデルとしてその家庭問題騒動(これも浮気が原因)が描かれる浮気性お気楽なオブロンスキーは、どうも橋渡し役というかピエロ的存在なのです。この軽薄だけど憎めない人物も傑作ですねえ。トルストイさんは登場人物すべて生き生きと描写されています、さすが文豪だと感心します。とにかくそこが読んでいてとても面白いのです。
アンナは夫カレーニンに仮面夫婦でいいから体面を保ってくれと言われたのに、ヴロンスキーの子供を宿し、ヴロンスキーが競馬場で落馬をすれば、観衆の面前で取り乱してしまうのです。
当然「もう、離婚だ」となったカレーニンは、いくらアンナの兄オブロンスキーに頼まれても、崩さない固い決心だったのに、アンナが出産し産褥が酷く死にそうになるとほろりとしてしまい、アンナを許そうとするのです。アンナはその傲然たる(上から目線)がたまらなく嫌で、夫カレーニンとの間の息子に未練を残しながらも、離婚はせずヴロンスキーと外国へ出奔してしまうのです。悪女極まれりですかね。
一方、キチイもリョーヴィンもそれぞれ不如意で孤独な日々をすごしていましたが、キチイは義妹(妻ドリーの)であり、リョーヴィンが親友のオブロンスキーはうまく橋渡しします。トルストイさん、うまくすじ運びましたね~(笑)
その二人の結婚式の様子の描写が、やたらものすごく詳しいのです。こんなめんどくさい結婚式をしたら、二度と結婚式はたくさんだと男性は思うでしょう、とおっしゃっているみたいですね。
ここまで再読してきて、はて?わたしの印象に残っているリョーヴィンの哲学的思索はどこ?と、記憶があいまいに・・・下巻に続く