読み継がれている名作でありますから、いろいろの示唆があるんですね。
ある家族の生きざまを通して、人間社会の仕組みに翻弄され、艱難刻苦に向わせられ、なお襲い掛かる天災災害の非情なる仕打ちにどうするのか!というようなすごい物語のように思われるのだが、読めば読むほど、この家族それぞれの身勝手さは腹立たしいほどで、精神性の崇高さを感じれば感じるほど、人間の生態の愚かしさもくっきりと浮き上がってくるのが面白い。
まず、「お母」が家族集団13人の中心なのはわかる。しかし、殺人を犯し、刑務所から仮出所のトムという次男もしょうがないが、まあ骨がある。おじいさんおばあさんは旅の難儀さに死んでしまい。はかなげな長男は何考えてるのか、旅の途中で行方不明に(家族はあきらめてしまうのだ!)、長女(16)は若くして結婚、ふたりとも夢る夢子さんで妊娠中に夫に逃げられてしまう。三男は浮気性でふらふらしているし、次女(12)と四男(10)はいたずら盛りで手に負えない、「お父」は空威張りの他人ごと、「お父」の兄ジョンはアル中の役立たず、おまけに元「説教師」の他人も加わって、それぞれが勝手なことを言い、やってしまって艱難辛苦の旅を余計に複雑にさせる。「なんでそこでそれをやってしまうのぉ~!!」と「お母」の気持ちに感情移入してしまうが、「大丈夫だよ、なんとかするから」と、おおらかなのか!?偉大なのか!?その「お母」が何とかしてしまうのが、おかしいようなほっとする救いのような、そんな読み方もいいかなと。この頃の、いや、ずっとそうだったけど、我が家族集団でもそんなふうなんだよね。