カテゴリ:読書メモ
もう二月半ば、時の過ぎるのが速いよ。
こころを痛めていることは「ウクライナ侵攻」がもう一年経って、つらい人々が大勢いること。トルコ、シリアとんでもない大地震の被災、地被災者のこと。 大局がそうでも、まあ日常のことはなんとか、かんとかして暮らしていくしかありません。 『贖罪』イアン・マキューアン 古典的な作品を好むわたしも、やっと現代的なイアン・マキューアンにはまりました。といっても21世紀初めの作品なので、遅れているといえば遅れてますけどね。 で、やっぱり圧倒されました。 長年読書をしてきて、本好きなのに、作家になりたいとは思ったことはないのですが、マキューアンの文章を読んで「書きたいなあ」と思わされたことは思いがけないです。 まず、ヒロインたちの住む家(お城みたいな館です)の描写がなんともいい魅力。もちろん原文がいいのでしょうか、魅せられてしまいました。 そしてプロットも小憎らしい。おとぎ話の要素とミステリーの要素、そしてホラー、ゴシック、、すべて満載。そしてあっけないカタルシスと余韻。 「第一次世界大戦時」のルポルタージュ風の章は、現代のウクライナ戦争があるだけに臨場感がありました。 大体、ヒロインが作家を目指している、作家になったらしい。というところがなんとも、興深いですかね。つまり小説好きを手玉に取ってまわしてるようなものですよぉ(笑 これぞイギリス文学の骨頂かもしれません、と思いましたね。 ところで、エピグラフに引いてあるオースティンの『ノーサンガー・アビー』読んでない、読まなくっちゃ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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ばあチャルさんの小説読解力及びみずみずしい感性には
いつも感嘆、畏敬の念を抱いております 私にとっての小説 若いころは、サルトルの作品などはよく読んだんですが 今考えれば、サルトルのモダンで洗練されたセンス そういうものに魅力を感じていたかも また、ヘッセなどの教養小説においては恋愛に興味(笑) 私、詩歌だと、理屈無しにダイレクトに「わかる」「感じる」んです そういう感性はもちあわせている 無理しないでも感じることができるんです でも、加齢とともに、フィクション=小説に対する感性が薄れて フィクションの世界を受け付けにくくなる フィクションがバーチャルに構成する世界をリスペクトできなくなる その世界にすっぽり没入することが難しくなる 若いころには少しは出来たんですが ばあチャルさんは、このあたり、どうなんですか? ノンフィクションの方に感動してしまうんです まあ、これは、どちらかと言うと、男脳的なものなのかな?とも ばあチャルさんの記事を読むたびに 私の脳は、どうなっているんだろうと思ってしまいます P.S. エッセイなどは大丈夫なんです 例えば、エッセイ的な山口瞳の小説などは 小説が書けなくなった開高健の乱造エッセイとかは好物(笑) (2023年02月21日 23時17分35秒)
alex99さんへ
心のこもったコメントありがとうございます! そうです、年齢とともに感性が薄れていくとは思いたくありませんが、疲れては来ますね (笑 わたくしもフィクション作品を読むのに時間がかかるようになりました。文字を追うスピードもそうですが、プロットの理解や、登場人物の区別やら若いときのようにはいきませんよ しかし、まあ、長くだどってきた(大した変化もなかったけど)人生経路というものが、総合的に作用して、作家の作る世界に興味を持って、入りこめているように思います 若い時は憧れの想像、今は確認かしら わたしにとってドキュメンタリーも同じように感じます >私、詩歌だと、理屈無しにダイレクトに「わかる」「感じる」んです そういう感性はもちあわせている 無理しないでも感じることができるんです 詩歌への感性は才能ですよ!! 詩心は絵心と同じように持とうとしてもなかなか思うようにはいきません (わたし、思うようにはいきませんが絵も、小さい「絵手紙」などでやってますが、どうなりますか?!) まえに山口瞳氏の『血族』を紹介してくださいましたね 購入して読みかけです(-_-;) どちらかと言えばドキュメンタリータッチですから、やはりわたしが苦手なのかも (2023年02月22日 08時24分40秒) |
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