『ながい坂』山本周五郎(新潮社)
再読なのだけれど、やはり最後の大団円には感動。そして嘆息、これだけ楽しめたのはいいけれど、記憶とはなんともあいまいなものよと。これを私は誇り高い性格の者同士ゆえ不仲であった夫婦の劇的な邂逅、という風な印象を強く持っていた。それは違ってはいなかったが、物語は全体として主人公三浦主水正の人間的成長発展をたどっていく典型的なビルドゥングス・ロマン(教養小説)なのだ。その成長物語がだだごとではなく、ながく重苦しい坂道の旅なのだ。作者はある架空の小藩を世間として、この世の矛盾に満ちた不条理の世界を描いて見せ、さまざまな災難、難題を主人公に遭遇させる。それを主人公平侍「主水正(もんどのしょう)」のストイック過ぎる性格と理想がなおさら強調するのである。それは周五郎の歩いた道でもあるらしいと垣間見られる。8歳の時の理不尽な事件が引き金となって、上へ上へと、上昇志向に走る姿に、理想は野心とそしられ、前にひたすら進んでいく。冷静沈着、頭脳も冴えているにもかかわらず、1人になったときは、苦しみつつ泣くような人間的な弱いところもある主人公。しかし結論は「自分の選んだ道だ、行くしかない」とくじけない。前半は物語として平坦ではあるが、後半ミステリー風味もあり、一気に読ませる。私が主水正の妻「つる」に印象付けられたのも、主人公のながい道のりのともし火のような存在だからだったのではないだろうか、と改めて思ったのである。ながい坂(上巻)ながい坂(下巻)