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カテゴリ:読書日記
冷蔵庫みたいに冷えきった新幹線を降りると、ざわっと生ぬるい東京のにおいがした。
なんだかんだ言っても、わたしがいま暮らしているのはこの街で、これからもしばらく、ここで寝起きしてごはんを食べるのだろう。 東京は大好きじゃないけど、嫌いでもない。ただ通り過ぎるだけだ。この街に住む、多くの人がそうであるように。 八重洲口から、タクシーに乗る。 白くライトアップされた中央大橋を渡るとき、川の両岸に立ち並ぶ高層マンションの灯りが天の川のようにきれいで、息をのんだ。 バブル絶頂期に竣工したというだけあって、隅田川には分不相応なほど豪華な橋だ。 立派すぎて周囲の景観から浮き上がるものを見ると、わたしは、なんだか胸の奥がぎゅうっと切なくなる。 東京湾岸の、倉庫や工場の並ぶ場所から見るレインボーブリッヂとか。 吉田修一の「東京湾景」では、品川埠頭から見る対岸のお台場が、小道具として象徴的に使われている。 ひっそりと闇に沈む、夜の倉庫街。 ぬらりと光る黒い水。 その向こうに浮かぶ、現実離れした明るい街。 さびれた街に突然やってきたサーカスみたいな儚さが、あの街にはある。 中に入って幻滅するより、遠くからわくわくして見ていたいような、ふわっとつかみどころのない感じ。 東京という場所が、そもそも、つかみどころのない都市なのかもしれない。 情報があふれ、モノがあふれ、目に見えないカネがぐるぐる回り、自分の足で踏ん張って立っていないと、目が回って、今自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。 わたしはこれが好き。それが得意。あれは嫌い。 自分の枠を声高に主張してはっきり決めてしまうことでしか、安心を得られないふしがある。 好きも嫌いも、得意も苦手も、ほんとは紙一重なのに。 内田樹が「身体知」で書いているけど、「自分探し」なんて、この混乱した街ではあまり意味がない。探したってどこにもないのだ、自分なんてものは。 新幹線の中で買った牛肉のお弁当、ふだんならぺろりと平らげるのだけど、熱を出したときのんだ抗生物質に胃をやられて、やっぱり3分の2しか食べられなかった。 自分が食べられる分を頼みなさいよ、と食べ物を大切にする恋人に諭される。はい、その通りです。 自分の器を知ることが大切だな。どこにいても、何をしても。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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