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カテゴリ:観劇日記
ステージには、プロレスのリングがひとつ。 リングの下に棲みつくコロボックルの女(宮沢りえ)。 プロレスは八百長ではない、と信じつづけるレスラー(藤原竜也)。 ふたりとも若いけれど舞台映えする役者さんなので、のっけから目が離せない。 宮沢りえ、こんなに芯のふとい、どろどろした生命力を醸し出せる女優だったのだなあ。 あの細い身体で妖精のように広いステージを飛び回り、迫力のある長ぜりふをひと息にこなして、息ひとつ乱れない。驚いた。 渡辺えり子、宇梶剛士、そして野田秀樹の存在感が舞台を引き締めている。 そして野田秀樹一流の、息もつかせぬ見事なせりふ回し。 このひとの書く戯曲は、観る側にも、常に思考し続けることを求める。 やがてすべての伏線が、ゆるやかならせんを描きながらひとつの結末に向かって動き出す。 何度舞台を観ても、いちばん胸が高鳴る瞬間だなー。 戦うということ。 理性と狂気。 生きていることと、死ぬこと。 人間と、鬼。 さまざまな境界線が次々と目の前に立ち現れて、いつの間にか涙が止まらなくなっている。 わたしたちにできることが、あるだろうか。 見つめること。 ただ、目を見開いて。 語りつづけること。 リングの外の、コロボックルのように。 そして、立ち止まること。 惰性ではね返るのではなく。 それらがたぶん、わたしたちが人間であり続けることの根拠になる。 開演前、劇場の前に藤原竜也のカレンダー売り場を見つけて、「いやあ、さすがにこんなところで買うひとはいないでしょう」と思っていたんだけど、終演後、劇場を出たところでふらふらと吸い寄せられる。 一緒に観ていたひとに慌てて腕をつかまれ、事なきを得ましたが。 だってー、かっこよかったんだもん! Bunkamuraの外に出たら、暮れの渋谷は音と光と酒のにおいでいっぱい。 すり鉢のふちまで混沌と騒音が詰まっている。 この何でもない、当たり前の、ごちゃごちゃした平穏が、一日でも長くつづきますように。 きっといい方向に向かっていくと信じているし、そのためにできることがあれば、できる限りたくさんしよう。 いつかじゃなくて、いま、この瞬間から。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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