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カテゴリ:こころもよう
お葬式。
ようやく雪がやみ、日が差して明るい。 この町の葬式に供される花の名前札は、去年の夏まで、亡くなった看板職人の叔父がほとんどすべてを請け負っていた。 お葬式がある度、その凜とした強い文字に、悲しみと寝不足でぼんやりした頭の芯を、ぐっと支えてもらっている気がしていた。 けれど、今日。 叔父の文字に代わって、花の下に添えられているのは、行儀よく整った印刷の文字。 大切な人が、またひとり、櫛の歯が欠けるように亡くなってしまった。 生き残るものの寂しさは、ときに自分勝手だ。 出棺、火葬場。 弔いの儀式の中で、いちばんつらいのは火葬のとき。 共に暮らし、長く親しんだ人の体なら、尚更だろう。 もうその体に祖母がいないことを知っていても、「なぜ」「どうして」と思うことは止められない。 姉と抱き合って泣く母のそばに、父は黙ってじっと立っていた。 母と姉と、祖母の歴史。 母と父の歴史。 わたしには想像もつかないことだが、父と母が暮らした年月は、母が生家の家族と過ごした月日より、もっと長いのだ。 人は一度の人生で二度、家族を選ぶ。選ばれる。 祖母の骨は、白くて小さかった。 皆で拾って、渡し箸をして骨箱に移す。 係員のおじさんが、拾いきれない骨や灰を、金属製のちりとりみたいなものですくって、箱に流し入れる。 ざーっと波のような音がして、白い灰けむりが上がる。 もう会えないという寂しい気持ちと、祖母はいろいろな苦しみを離れて楽になったのだなあという安心感と。 気がゆるみ、一家四人ぼうっとしたまま叔母の家を辞する。 帰る途中で、行列のできるおいしいお寿司屋さんへ行き、かつてないほどたくさんの寿司を頬張る。 全員喪服のままなので、コートを着たままもぐもぐ。 着替える時間も惜しいほどお腹が空き、そして疲れていたのですね。 お腹が空くという感覚を、ここ数日思い出す暇もなかったからなあ。 明日、東京へ帰ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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